小原一仁先生第3回 巨人の肩の上にのる矮人
2016.06.28
「巨人」と聞くと真っ先に読売ジャイアンツが頭に浮かぶ、不真面目極まりない私ですが、今日は、研究の世界に身を置く者ならば一度は耳にしたことのある有名な言葉をテーマに取り上げたいと思います。日本語の場合、単語が単数なのか複数なのか、その判別は困難です。従って、「巨人の肩の上にのる矮人」という言葉からは、一人の巨人の肩の上に立っている情景を彷彿される方も少なくないかも知れません。あるいは、私のように読売ジャイアンツが一瞬でも脳裏をかすめる人もいる・・・んですかね?
さて、この言葉は、アイザック・ニュートンが1676年にロバート・フックに宛てた書簡で用いたものとされ、原文は次の通りです。
If I have seen further it is by standing on ye shoulders of Giants.
英語は日本語と異なり、文脈から推察するまでもなく、単語の形態を見れば単数・複数を識別することが可能です。ニュートンは、「巨人たち」と述べています。単体ではなく、複数体の巨人の肩の上に立つことを思い浮かべていたのでしょう(多分・・・)。
果たして、単数と複数に大きな違いがあるのでしょうか。私はあると考えます。研究者として師事する教員がいる人は多いと思います。しかし、たった一人の教員の肩の上にしか立たないことは、メリットもあればデメリットもあると私は考えます。個人が有する観点の範囲は、全体から見たほんの一部分であることの方が大半です。その一部分だけを見続けることは、決して悪いことではありませんが、特にこれから研究の世界に踏み出そうとする新進気鋭なルーキーたちが、最初から限定的な閉鎖空間に蟄居してしまうことは勿体ないといっても過言ではないはずです。
初めから一つに限定し、それを突き詰めて行く追究の在り方も研究者として大切なスタイルかとは思いますが、様々な視点・観点から森羅万象に触れ、自己の知識として取り込む過程も、これからの研究者には求められることではないでしょうか。様々な考え方に触れ、様々な知識を獲得し、それらを取捨選択しながら自分の興味関心を深めて行く思考プロセスによって、クリエイティブでオリジナルな発想が生まれると思います。
多様な巨人たちの肩の上に立ち、多様な世界を括目した上で、これと思える自分のニッチを見付けることが、研究の第一歩でもあり、何か壁にぶつかった時の最善策ではないでしょうか。そう考えると、日本語にも「先人の知恵」という言葉があるように、やはり、昔から伝承されるものには、何かしらの存在意義があるのでしょう。この点は、次回も取り上げてみたいと思います。