山口先生:「平等について」Vol.2:何の平等か

2017.12.13

平等教育において重要なのは、「何の平等か」を明確に規定することである。筆者も小中学校で経験した記憶があるが、現場の平等教育においてよく引き合いに出されるのは、福澤諭吉の有名な言、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」である。「福澤が言うように、万人が平等であるような社会を築いていこう」というような意味合いで語られることが多い。だが、『学問のすすめ』において福澤は「天は人を差別するものではないからそれに見習って差別のない平等社会を造ろう」と言ったのではない。「天は人を差別しないが現実社会には様々な上下関係がある。それはなぜか」と問うたのであり、彼はそれを学問の有無に還元したのである。原文を確認してみよう。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり。・・・されども今広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。その次第甚だ明らかなり。実語教に、人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なりとあり。されば賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとに由って出来るものなり。」(『学問のすすめ』岩波文庫 p11)

福澤が言うように「賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとによってできる」のだから、「皆、学問をしよう」、これが文字通り『学問のすすめ』のポイントである。そして福澤は同書第2編の「人は同等なること」の章で次のように語っている。

「人と人との釣合を問えばこれを同等と言わざるをえず、但しその同等とは有様の等しきを言うに非ず、権利通義の等しきを言うなり。その有様を論ずるときは、貧富強弱智愚の差あること甚だしく・・・いわゆる雲と泥との相違なれども、また一方より見て、その人々持ち前の権利通義をもって論ずるときは、如何にも同等にして一厘一毛の軽重あることなし。」(同書 p21)

福澤の言を見ても分かるように、平等とは「有様」の等しいことを言うのではなく、「権利」の同等性を言うのである。それゆえ、平等教育に際し最初に押さえておかねばならない事は、「有様」は万人異なっているが自然法思想に基づく「権利」は皆同じであるということを明確に理解することである。これを怠ると「運動会の徒競走は順位がつくので(つまり不平等になるので)足の速い人はゴール前で足踏みして遅い人を待ち、みんな一緒に(平等に)ゴールしましょう」というような「有様を同じ」にしようとする教育が為されたりすることになる。(続)

  • NHKクローズアップ現代「競争のない運動会~順位をつけない教育改革の波紋」(1996年6月11日放送)参照。