寺本潔先生:SDGs学び旅 -北海道網走・知床への出前授業で考えたこと-モヨロ貝塚発見!のドラマに感動

2021.12.07

昨年と今年、二回にわたり北海道網走・知床地域で文科省科研費による出張で授業をさせてもらった。その折で出会った事柄を話題に4回にわたるコラムを綴ってみたい。

「高さ20メートルにも及ぶ砂丘が流れに裾を洗われ急斜面をなしている。その向こうはオホーツク海である。楡(にれ)の林がこんもりとして、台地は川岸からなだらかなスロープでつづいている。よく見ると、断面に厚さ1メートルくらいもの貝殻層が二重にも三重にも重なっているではないか。(中略)これは、いったい自然のものなのだろうか。それとも、遺跡なのだろうか。これが貝塚とは信じられない。棒の先でそっと崩してみると、カキ、ホッキ、マキガイ、ホタテ、シジミなどの貝殻の中から、石器や骨角器、土器が出てきたではないか。おおこれは、正しく先人の遺跡である。これは大変なものを発見したぞ。私は雀躍(におど)りしたい気持ちをおさえて、自分で自分に『おちつけ、おちつけ』といいきかせた。」(米村喜男衛著『モヨロ貝塚』講談社、昭和44年発行、p65~66より抜粋)

写真1 最寄貝塚の案内板(網走市にて筆者撮影)

これは、東京神田で理髪職人をしていた考古学愛好家の米村さんがアイヌ文化に魅せられ北海道を旅し網走駅前旅館に泊まった翌朝(大正2年9月4日)、散歩に出かけ偶然、最寄(モヨロ)貝塚(のちに国指定史跡)を発見した瞬間を綴った文です。米村さんは、アマチュアの研究家として顕著な働きをしただけでなく、網走市に住み込み発掘するために現地で理髪店を開店し発掘した遺物を店に展示したり、愛好家や教員、子どもたちを集めて研究会も主宰したりと当地の文化振興に大きな功績を果たした方です。モヨロ貝塚にはオホーツク文化というアイヌとは異なる北方系の住民の大型集落跡や墓地も残っていて、謎多き海の民として注目を集めています(写真1)。発掘に至るエピソードを振り返りながら、わたしは米村さんの知的好奇心と熱い探究心に感動しました。単に、土器や石器を蒐集する考古学マニアにとどまらず、私財を投げうって郷土研究のうねりを起こし、郷土博物館建設までも実現し次世代や市民を啓発した功績に目を見張ることができるからです。この貝塚発見の感動ドラマはトロイの古代遺跡を発見したシュリーマンになぞらえることができると作家・司馬遼太郎も礼賛しているほどです。

考古学は野外を出歩き、事物の観察や踏査が必須の学問という野外科学の持つ魅力が詰まっています。インターネットであらゆる情報を手軽に集めることのできる時代になっていますが、米村さんが探究した貝塚研究は太古の人々の暮らし解明という真正性の持つ力強さと稀有な魅力があります。米村さんの息子さんやお孫さんも考古学を志望し、3代に亘って網走の郷土博物館長の仕事を引き継がれている事実も興味深いものがあります。知的好奇心に裏付けられた学びは、人を育てる礎なのです。