石井恭子先生感じること・学ぶこと

2022.05.09

光と遊ぶ

 「なんだろう??」「たからものじゃない?ほってみよう」といって、3歳児さん2人が園庭の端を小さなシャベルで掘っています。よく見ると、地面にオレンジ色に光っているものがあるようです。「ほんとだ!」「ひかっているよ」と言いながら掘って取り出すと・・・。
 「おかしいな」掘り出せたのは茶色いただの土だけ。オレンジ色に光る宝物は掘り出せません。確かにそこにあったのに。掘ったところを見ると「あれ?今取ったはずなのに」もう一度掘ってみても、同じように、掘り出したのはただの土で、オレンジ色の宝物はさらに深くなった穴の中で光っています。ふしぎだなあ、どうなっているんだと飽きもせずに掘り続ける子どもたち。ふと観察者が見上げると、木の枝にオレンジ色のセロファンがくっついていました。秋の日当たりのよい午後のひとこまです。
 すぐそばで、5歳児さんたちが色水や色セロファンを入れたペットボトルを並べたり、色セロファンの窓をつけた段ボールの家を作ったりして、さまざまな色の世界を楽しんでいました。先生がちょっとした遊び心で、金木犀の木の枝にセロファンをいくつかつけてみたそうです。影にもオレンジ色の花が咲いているように見えるかな、と。そこに通りがかった小さい人たちの探究はそれを超えて、掘っても掘ってもオレンジ色が消えない現象に「不思議」を感じていたのでした。地面に光っているものを見つけたら、普通は掘り起こして取り出すことができるのに、光っている砂は取り出したら光らなくなってしまう。そしてどけたはずの光の宝物がまた同じところに現れるのですから。本当に不思議な現象です。

自然は不思議がいっぱい

 この子どもたちをずっと見ながら、「いつわかるのかな、ずっと先までわからないのかもしれないな」「明日も掘るかな」「すぐに忘れてしまうのかも」などと考えていました。そしてもう一つ、学校で学ぶ光の学習は、不思議を感じる好奇心をどのように受け止め伸ばしていけるのだろうか、とも。太陽から直進してきた光が、オレンジ色のセロファンを通ってオレンジ色の光となって砂の表面で反射して目に届く。そんな解説では、この子たちのダイナミックな探究に比べると小さなことのように感じます。
 まわりで起きている自然のふるまいに気づき、不思議だなあと思うことは幼稚園のあちらこちらで起きています。それが継続したり発展したりすることもあれば、すぐに忘れてしまうこともあるでしょう。ずっと後になって、どこかでまた思い出されたり、つながったりすることもあるかもしれません。幼児期の遊びは、それが教科の学習内容(Contents)にそれほど直結しているとは思えません。それよりも、不思議なものを見つけて、なんでかな?と思って手に取ってみてみるとか、繰り返して試してみるとか、あれこれやり方を変えて試してみることそのものが、大きな資質としての科学的探究力(Competence)につながっているように思います。また、それがきっかけとなって、園の中にお気に入りの場所ができたり、一緒に不思議を味わった仲良しの友達ができたりすることにもつながっていくようです。

感じることは知識・技能の基礎

 2017年に、幼稚園教育要領と保育所保育指針、幼保連携型認定こども園教育・保育要領、また小学校と中学校の学習指導要領が同時に改定され、「幼児期に育みたい資質・能力」や「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」が示されました。乳幼児期から初等中等教育まで一貫した子供の育ちと学びを連続的にとらえ、幼小・小中・中高といった学校段階間の円滑な接続が重視されたのです。
 幼児期に育みたい資質・能力(表1)をみると、気づいたりわかったりできるようになったりすることと一緒に「感じる」ことが知識及び技能の基礎として明確に示されていることがわかります。「あれ?」「うわあ」「ふしぎだな」「おどろいた」など、心が動く(感じる)ことが原動力となって、試してみたり考えたり誰かに話したりしていきます。ですから、感じることは知識や技能につながる初めの一歩と言えるののでしょう。

表1 「幼児期に育みたい資質・能力」
  • (ア)
    豊かな体験を通じて、感じたり、気付いたり、分かったり、できるようになったりする「知識及び技能の基礎」
  • (イ)
    気付いたことや、できるようになったことなどを使い、考えたり、試したり、工夫したり、表現したりする「思考力、判断力、表現力等の基礎」
  • (ウ)
    心情、意欲、態度が育つ中で、よりよい生活を営もうとする「学びに向かう力、人間性等」

環境を通して行う教育

 幼児期の学びは、自発的な遊びの中での学びです。学ぶことを意識しているわけではないけれど、楽しいことや好きなことに熱中する中でさまざまなことを学んでいくのであり、「学びの芽生え」とも言われています。子どもたちがまわりの世界に自ら手を伸ばし、直接触ったり動かしたりして豊かな遊びが可能になるような環境となるよう、保育者は日々園の環境を整えています。また物の環境だけではなく、保育者自身が一緒に遊んだり、一人ひとりの関心を見つめながら友だちとの関わりを支えたりしています。教師が何かを直接教えるのではなく、子どもが自ら学んでいけるような環境を整えることを、「環境を通して行う教育」といわれています
 中高の理科教育においても、理科室への通り道に関連する道具やおもちゃなどを展示して、学習内容が生活や社会の中で利用されていることを示したり、法則を発明した人の人生を紹介したりするなど、さまざまな工夫が行われています。興味や関心を持ったり、理科を学ぶ意味を実感したり、という学習の初めの一歩としての「感じる」ことを促しています。専門教科の学びを楽しむ教師自身の姿も一つの環境です。まさに環境を通して行う教育と言えるでしょう。

問いを持つ子を育てる

 生物学者の渡邉萬次郎さんが書かれたご自分のお孫さんとのエピソードから、子どもの探究を支える教師の姿勢を学ぶことができます。

「これにもお豆がなるの?」
 私はかつて幼稚園の二児を近郊に伴った。彼らは「みやこぐさ」の花に注意を引かれたが、その名を問うほかに能がなかった。
 当時、私どもの菜園には、同じ豆科の「えんどう」の花が咲いていたので、私は名を教えるかわりに、その花を持って帰り、おうちでそれによく似た花を見出すようにと指導した。
 彼らが帰宅後、両者の類似を見出したときには、小さいながらも自力に基づく新発見の喜びに燃えた。やがて1人は「みやこぐさ」について、「これにもお豆がなるの?」、とたずねた。それは誰にも教えられない、独創的な質問であった。
 私はそれにも答えず、次の日曜に彼らに現場で確かめることを提案した。次の日曜に彼らが そこに小さな「お豆」を見出したとき、そこには自分の推理の当たった喜びがあった。秋がきた。庭には萩の花が咲いた。彼らは萩にも豆のなることを予測した。
 彼らは過去の経験から、いかなる花に豆がなるかを自主的に知り、その推論を独創的にまだ見ぬ世界に及ぼしたのである。

〔渡邊萬次郎『理科の教育』(明治図書)昭和38年11月号〕より

 花の名前を教えてしまわずに、興味を持った子どもたちに次の活動のヒントを出すことで、子どもたちがどんどん科学的な探究の道に導かれていった様子が描かれています。このエッセイについて教育心理学者の内田伸子先生(お茶の水女子大学名誉教授)は、「子どもの質問にすぐに回答を与えず、上手に足場を架けたときには、4 歳、5 歳の子どもが、まるで科学者がたどるような仮説検証の過程を自力で達成できたというエピソード」「大人は質問には答えられるとしても、『質問の仕方』を教えることはできません。」と述べています
 簡単に答えを知ることではなく、自分で答えを見つけるまでの探究の楽しさを味わう子どもたちを育てていきたいものです。