佐久間先生:教育史研究こぼれ話Vol.5:「もしドラ」でなかったら――自明性を疑ってみよう

2024.06.03
佐久間 裕之

みなさんは「もしトラ」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。今年11月のアメリカ大統領選挙に関連して登場した言葉です。これは「もしトランプ氏が大統領に返り咲いたら」といったフレーズを短くしたもののようです。しかも恐らく「もしトラ」を耳にした多くのみなさんは、即座に「もしドラ」のことを思い出したのではないでしょうか。和歌や連歌の本歌取りではありませんが、「もしトラ」を耳にすれば、おのずと元ネタ「もしドラ」が頭に浮かぶことでしょう。「もしドラ」とは、言うまでもなく岩崎夏海氏のベストセラー『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら(1)』に由来する略称です。この本は「2010年に200万部も売れて」、当時「驚異のドラッカー・ブーム(2)」が到来したことが思い出されます(2022年現在で累積発行部数は300万部以上に達しているとか)。

ところで、「もしドラ」は「もしドラ」でなかったかもしれない、などと言ったらみなさんは驚くでしょうか。「もしドラ」の「ドラ」は言うまでもなく、「マネジメントの発明者(3)」と評されるPeter Ferdinand Drucker(ピーター・ファーディナンド・ドラッカー)のことです。我が国においてDruckerは、「ドラッカー学会」(Drucker Workshop)の名称で使われているように、「ドラッカー」と呼ばれています。Druckerに関する日本の先行研究でも「ドラッカー」の呼称が当たり前です。彼はアメリカを拠点に活躍したのであって、彼の名前が英語読みの「ドラッカー」となるのは当然のことでしょう。ただし、彼はドイツ語圏のオーストリア出身でした。ギムナジウムの退屈な授業にうんざりしていた彼は、地元を離れてドイツ・ハンブルクやフランクフルトで学生時代を過ごし、フランクフルト大学において法学の博士号を取得しました。「ユダヤ系ドイツ人(4)」であった彼は、その後、ナチスの台頭を契機にドイツを脱出し、イギリスを経由してアメリカを拠点に活躍することになったわけです。英米圏へ移動する前、彼の名前Druckerは通常「ドラッカー」ではなく「ドゥルッカー」と呼ばれていたのです。Druckerという名前は、彼の父親アドルフの先祖が「ルーテル派の聖書の印刷人(5)」だったことと関係しています。ドイツ語でDruckerは一般名詞でも「印刷工、印刷業者」を意味しており、動詞drucken(印刷する、刷る)に由来する言葉です。フルネームのPeter Ferdinand Druckerもオーストリアやドイツ時代には「ペーター・フェルディナント・ドゥルッカー」と呼称されていたことになります。ナチスを逃れて英米圏へ移動した彼は、「ドゥルッカー」から「ドラッカー」に、ファーストネームで呼び合う場合も「ペーター」から「ピーター」へと変わったわけです。これは時代の大きな流れが、一人の人生に直接的な変化をもたらした証左の一つであるとも言えましょう。そしてもし「ドラッカー」が時代に翻弄されず「ドゥルッカー」のままだったら……。おそらく「もしドゥル」は生まれず、そして「もしトラ」の表現もなかったことでしょう。

さて、私は2013年4月1日から2015年6月30日まで、玉川大学芸術学部・経営学部・教育学部の先生方によるDruckerに関する共同研究の機会に恵まれました。私はDruckerがまだ「ドゥルッカー」として生きていたドイツ・フランクフルト時代の主要著作に依拠して、彼の初期思想とナチズムとの関係性について明らかにすることを試みました。ドイツでは現在もナチス時代の教育、教育学者や教育者の責任を問う研究が続けられています。私が関心を持つドイツの改革教育学の関係者も、そうした研究の対象とされています。この時代にフランクフルト大学で学んだDruckerの足跡を辿ることは、当時のドイツの大学がいかなる状況にあったかを具体的に把握する機会ともなり、大変興味深いものでした。ちなみにフランクフルト大学にはDruckerの在籍時代の記録や博士論文がアーカイブに所蔵されており、それらを直接調べることができました。そこから明らかになってきたことを少しだけ紹介しましょう(詳細は拙論の①を参照)。

Druckerの思想に関しては、これまで初期(第二次世界大戦終了まで)、中期(戦後の冷戦期)、後期(冷戦体制崩壊後)の3期に分けて研究がなされてきました。このうち、中期思想に関しては「マネジメントの発明者」の面から、後期思想に関してはマネジメントに留まらない「社会生態学者」(social ecologist)の面から 、彼の思想は研究されてきました。一方、Druckerの初期思想は、中期・後期思想とは異なる題材が重要な役割を演じています。それは全体主義批判、端的に言えばナチズム批判です。当時の彼を一躍有名にした書物は、1939年の『経済人の終焉―全体主義の起源―(6)』(以下『経済人の終焉』)です。本書は「全体主義」(Totalitarianism)との対決を目論んだ書物であり、Druckerはこの中で「全体主義の猛攻撃に対抗するための唯一の現実的な抵抗は、われわれ自身の社会の中に新しい基礎的な諸力を呼び起こすことである(7)」と記しています。そして、その「新しい基礎的な諸力」(new basic forces)を、後に中期思想ではマネジメントとして捉えていくことになります。つまり、Druckerのマネジメント思想の基点にあるのが、この初期思想に見られる全体主義批判なのです。しかし、このことはDruckerの初期思想が全体主義批判によって一貫して特徴づけられることを意味してはいません。それにもかかわらず、従来の先行研究では彼の初期思想に見られる全体主義批判が、1939年の『経済人の終焉』以前から一貫して存在しているとの見方がなされてきました。そして特にフランクフルト時代(1929-1933年)の彼を規定しているのがナチズムとの対抗関係だと指摘されているのです。さらに『経済人の終焉』以前の著作物においても、Druckerは既にナチズム批判をしていたのであって、その証拠が1933年に著された『フリードリヒ・ユリウス・シュタール―保守主義的国家理論と歴史的展開―(8)』(以下『シュタール』)にあるといわれています。Druckerは本書で反ナチズムの立場を公にし、その結果、本書は出版後すぐ発禁処分となり、彼はイギリスへ渡り、その後アメリカへ移住することになったと説明されています。しかしDruckerがフランクフルト時代に発表した主要な著作物、すなわち、彼の博士論文「国家意思による国際法の正当化―自己拘束理論及び協約理論の論理的・批判的研究―(9)」(1931年)と『シュタール』を私が改めて吟味したところ、先行研究が示す思想内容とは異なることがわかってきました。すなわちDruckerの初期思想を全体主義批判から一貫して特徴づけることはできないこと、むしろ「ナチズム批判」と「ナチズムとの親和性」の両面を含み込むような両義性(ambivalence)の存在が浮き彫りになってきたのです。

自明性を疑い、先行研究をうのみにせず、みずから原典・資料にあたって考察し、先行研究と対峙し、対話する。これで大丈夫なのか、これは正しいのか。自らの考察結果とも対峙し、対話する。研究は恐ろしくも楽しい。研究の恐ろしさと楽しさが共在する時間。それがかけがえのない時間だと感じます。Druckerに関する研究は随分ご無沙汰していますが、「もしトラ」のおかげで、改めてあの頃の自分と向き合えた気がしています。

  • 私自身のDruckerに関する研究成果の一部は、次の文献に収められています。
    • 佐久間裕之「Peter F. Drucker 初期思想の特質―フランクフルト時代(1929-33年)の資料を中心として―」(『論叢:玉川大学教育学部紀要』2014年, pp.55-71.)
    • 佐久間裕之「ドラッカー・ポートレイト―フランクフルト時代(1929-33年)の軌跡―」(河合正朝監修『ドラッカー・コレクション 珠玉の水墨画―「マネジメントの父」が愛した日本の美―』美術出版社, 2015年, pp.26-28.)

  1. 岩崎夏海『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』ダイヤモンド社,2009年.
  2. 三戸公『ドラッカー、その思想』文眞堂,2011年,p.3.
  3. 『現代思想』第38巻10号,青土社,2010年,p.172.
  4. Drucker, P. F., Die Judenfrage in Deutschland, Wien: Gsur u. Co.,1936.
  5. 上田惇生『ドラッカー入門―万人のための帝王学を求めて―』ダイヤモンド社,2006年,p.2.
  6. Cf. Drucker, P. F., The End of Economic Man. The Origins of Totalitarianism, New Brunswick: Transaction Publishers, 1995. Originally published in 1939 by The John Day Company.
  7. Drucker, Ibid., p.264.
  8. Drucker, P. F., Friedrich Julius Stahl: Konservative Staatslehre und Geschichtliche Entwicklung, Tübingen: Mohr,1933.
  9. Drucker, P. F., Die Rechtfertigung des Völkerrechts aus dem Staatswillen. Eine logisch-kritische Untersuchung der Selbstverpflichtungs- und Vereinbarungslehre, Inaugural-Dissertation zur Erlangung der Doktorwürde der Rechtswissenschaftlichen Fakultät der Universität Frankfurt am Main, Typoskript,1931,102S.