小谷恵津子先生修士論文構想発表会に寄せて
2024.07.08
5月17日、令和6年度の修士論文構想発表会が開催されました。この日は、M2のみなさんが入学以来積み重ねてきた研究の成果を形あるものとして披露する節目であり、修士論文執筆のスタートラインでもあります。そして、教育研究科担当として初めて構想発表会に参加した私にとっては、研究を志した自らの原点を思い起こす日となりました。
大学卒業後、中学校の社会科教員として勤務していた私が修士課程に進んだきっかけは、ある生徒の「先生がとても一生懸命授業をしてくれているのは分かるけれど、先生が授業で教えてくれることはよく分からない」という言葉でした。「生徒が興味・関心をもって学べるように」や「少しでも学習内容が理解しやすいように」などの思いから、授業づくりに精一杯の工夫をしていた(つもりだった)私は、その言葉に大きな衝撃を受けました。それと同時に、情熱や経験に基づく工夫だけでは、授業づくりが独りよがりなものにしかならないことを痛感したのでした。
「分かる」とはいったいどのようなことなのか、そして、子どもが社会科の授業内容をより良く「分かる」ためにはどうすればよいのか…その思いが通じたのか、幸いにも修士課程に進学して研究する機会を得ることができました。しかし、念願の大学院での生活で私が向き合うことになったのは、自分の「問い」の答えを明らかにできるのは自分自身だけ、という研究における「当たり前」を乗り越えることだったのです。
もちろん、折に触れて指導教員の先生からご指導いただき、ゼミの先輩や同輩の姿から学ぶこともたくさんありました。しかし、私の「問い」の答えを誰も教えてはくれません。先行研究を探し、読み、考え、研究計画を修正する…その繰り返しをひたすら続け、もがく日々でした。そんな私の心の支えになったのが、レポートや研究計画書をご覧になった先生がいつも最後にかけてくださる「続けてみてください」という言葉でした。
当時の私は「続けるとおっしゃるけれど一体どうすれば・・・」と頭を抱える一方で、その言葉が暗闇に差す一条の光のようにも感じられ、自らの「問い」と向き合うための力になりました。そして、修了して長い年月が過ぎた今、先生は研究という営みと格闘する私に寄り添い、そっとエールを送ってくださっていたのだ、と思うのです。
教育学研究科で学ぶみなさんも、当時の私と同様に、自らの「問い」と格闘する日々を送っていらっしゃることでしょう。もしかしたら、発表を経ていっそう悩みや迷いが深くなった、という方もいらっしゃるかもしれません。しかし、みなさんが向き合っている「問い」は、これまで積み重ねてきた日々があるから生まれたものであり、だからこそ、みなさん自身でなければ解くことができないものです。それは研究という営みの厳しさであると同時に、見方を変えれば楽しさでもあるのではないでしょうか。