山口意友先生:カント倫理学(道徳形而上学)は現代の道徳教育に役立ちうるのか(4)カント倫理学の教育現場への応用について
2025.03.25
教育基本法が示す教育の目的すなわち「人格の完成」という教育理念が、カント倫理学における人格概念に依拠していることについては、以前のコラム(「教育の目的はなぜ人格の『完成』なのか?」2021年)でも述べました。この人格概念は、「自律」として理解することが可能でした。したがって、ここでもカント倫理学(道徳形而上学)における自律の概念を現代の道徳教育に応用するには何が必要かを改めて考えてみたいと思います。
カント倫理学はすでに見てきたように、実質的な議論を排除したアプリオリな形而上学であるため、それをそのまま道徳教育に応用するには困難が伴います。なぜなら、カントは意志の結果である行為を完全に無視しているからです。そのため、カント倫理学を道徳教育に応用する場合には、「意志規定」(動機)のレベルでのみ活用できることになります。
ところで周知の通り、こんにちの道徳教育の指針となる「学習指導要領解説 特別の教科道徳編(平成 29 年告示)」には、道徳教育における下記の4つの内容(視点)が示されています。
A .主として自分自身に関すること
B .主として人との関わりに関すること
C .主として集団や社会との関わりに関すること
D .主として生命や自然、崇高なものとの関わりに関すること
これら4つの内容を端的に記せば、A:対自的道徳(自己に関する道徳)、B:対他的道徳(他者に関する道徳)、C:対社会的道徳(社会や集団に関する道徳)、D:対超越者的道徳(超越的なものに関する道徳)と言えます。そして対自的道徳であるAの内容については、そのポイントとして「善悪の判断、自主、自律、自由と責任」という語が記されています。それゆえ、学習指導要領に示されるAの内容、すなわち自律による対自的道徳の重要性をカント倫理学に基づいて示すことは有意義であると思われます。
例えば、学校現場において示される「ボランティア活動の推奨」を考えてみましょう。
「内申書の評価を上げるためにボランティアをする」
「先生に行けと言われたからボランティアに行く」
これらの行動の元にあるのは、カントが指摘する傾向性(下心)を含んだ他律的な意志規定です。しかし、「下心を排除した純粋なボランティア」「自発的なボランティア」へと移行することで、自律性を意識した内容へと変えることが可能になります。
つまり、ボランティアをBやC(対他的・対社会的な行為の問題=他人や社会にどう役立つのか)の観点からのみ見るのではなく、A(対自的な意志規定の問題=下心の有無、自律性)の観点から考えることが重要なのです。これにより、感情ではなく理論(自律理論)に基づいた人格教育を行うことができるのではないでしょうか。
教育現場では上記A~Dの内でAにはなるべく関わらない風潮があります。その理由は、B~D(対人的・対社会的・対超越者的な道徳)が他者への危害防止や環境保護といった具体的な問題として扱いやすいのに対し、Aは児童・生徒の内面的な問題に関わるため、具体的な指導が難しいと考えられているためです。しかし、意志規定における他律と自律を常に意識することで、「(下心をもった)偽善」から「(下心のない)純粋な善」への移行、さらには「他者から言われたから行う行為」から「自発的な行為」への移行を目指すようなカント的な道徳教育が十分に可能になるではないでしょうか。
さらに、自律概念は、「他者に迷惑をかけないからok」という考え方を乗り越える契機にもなります。例えば、ある生徒が厳冬の時期に「明日から朝6時に起きてジョギングをしよう」と決めたとします。翌朝になって起床しようとした際、生徒の中には次のような葛藤が生じるでしょう。 「このまま寝続ければ暖かくて気持ちよいが、今起きてジョギングするには寒すぎる。」
ここで、生徒は次のような自己正当化の理論を考えるかもしれません。
「別に寝続けたとしても人に迷惑をかけるわけではない」。
しかしここで必要とされるのは、「他人に迷惑をかけなければok」という対他的な道徳ではなく、対自的な道徳の視点です。つまり、こうした他者危害則に基づく自己正当化理論を傾向性として認識し、それに打ち克つ理論を対自的道徳としての自律性が提供することになります。
このように、カント倫理学の自律概念は、自己の意志の弱さや自己正当化の傾向を乗り越えるための道徳的な支え(理論)となり得ます。我々は、具体的な行為を行う際に常に傾向性(自己の欲望や感情)に影響されます。そのため、完全な自律に到達することは無理ですし、事実、カントもそう言っています。しかし、そのことを十分に理解した上で、「完全な自律」の理念を意識し、できるだけそれに近づこうとする道徳的意志を持つことが人格教育の本質と考えることもできます。
カント倫理学(道徳形而上学)は、現代の道徳教育において、まさにこの「他律から自律に向かう意志」の必要性を示しているのです。そして、この考え方こそが、教育基本法第1条に示される「人格の完成を目指す」という教育の目的に繋がっていくと言えるのではないでしょうか。
お勧めの参考文献
カントの道徳形而上学を学んでみたいと思われる方は、本稿の引用でも参照した、宇都宮芳明訳の『道徳形而上学の基礎づけ』(2004年以文社)が比較的分かりやすいと思います。(この書は段落毎に解説が付けられているため、難解なカントの文章を理解するには非常に役立ちます。)なお、カント倫理学を誤解しないためにも、最初に『道徳形而上学の基礎づけ』、その後に『実践理性批判』、そして『人倫の形而上学』という順番で読まれるとよいと思います。