杉山倫也先生「なんでそーなるの?」―行為の意図せざる結果―

2026.07.27

 前回コラムの最後にこう書きました。
 「それは回り回って、まったく予想だにしなかった結果に結びつく可能性を秘めています。例えば、今、私はこのコラムを書いています。」
 これを説明すると、無粋になるので避けます。
 こういう状況を指して「行為の意図せざる結果」と言います。社会学、経済学、そして教育学でも使用する「一般的な用語」です。
 この「一般的な用語」は、社会学者マートン(Merton, Robert K., 1910-2003)の“The Unanticipated Consequences of Purposive Social Action” (1936)という論文がオリジナルです。「意図的な社会的行為の予期せぬ結果」とでも訳せますか。
 マートンはこんな趣旨の指摘をしています。
 「重要なテーマでありいろんな人が触れてきたけど、分野ごとにバラバラで、ちゃんと整理された研究はまだ十分じゃない。」
 私はこの「一般的な用語」を諸々の書物の記述にしたがってそのまま使っていました。よくない態度ですね。反省して、マートンの論文と本を取り寄せました。今、マートン先生に教えてもらっています。
 私たちの行為は、いつも意図した通りの結果を生むとは限りません。(結果の良し悪しは、また別の問題です。)
 ポジティブに言えば「情は人の為ならず」のように、回り回って自分にとっての幸福や利益につながる場合があります。また、ある行為が、世界を変えるような結果に結びつく場合もあります。例えば、コロンブスがインドを目指して、アメリカに到達したように。
 ネガティブな場合もあります。「良かれと思って」がそれです。「おせっかい」とでもいいますか。あるいは「小さな親切、大きなお世話」でしょうか。大人が一番気をつけなくてはいけないところでしょうか。
 マートンは「予期せぬ結果」の生じる背景には「無知」、「誤り」、そして「目先の利害に押し切られる傾向」があるとしています。
 オー・ヘンリー(O. Henry, 1862-1910)の『魔女のパン(Witches’ Loaves)』(1904年頃)という作品をご存知でしょうか。こんな話です。
 「パン屋の女性マーサは、いつも安い固いパンだけを買う男性を気の毒に思います。彼は貧しい芸術家だと思い込み、親切心からこっそりパンにバターを塗ってあげます。ところがその男性は怒って戻ってきます。実は彼は製図師でした。パンは設計図の鉛筆を消すために使っていたのです。バターのせいで大事な図面が台無しになってしまいました。」
 まさに、「行為の意図せざる結果」のネガティブ・モデルです。
 小学校5年生か6年生の国語の教科書に載っていた記憶があります。(当時)ところが、いろいろ調べてみたら違うらしいのです。(道徳の副読本だったかもしれません。)
 当時の私は「へえ、古いパンが消しゴムの代わりになるんだ」と新鮮な知識を得た気分になっていました。また、「製図師はこういう消し方をするんだ」と、むしろプロの技を感じていました。
 肝心の教えの部分については、バターを塗った瞬間に「あ、失敗のオチね」くらいに考えていました。
 「意図されていた教え」は、私にとっては「パンは消しゴム代わりになる」という豆知識として記憶されたようです。ずいぶん違う結果になりました。
 見事な「行為の意図せざる結果」です。

引用文献

Merton, Robert K. “The Unanticipated Consequences of Purposive Social Action”,
American Sociological Review, Vol.1, Issue 6(Dec.,1936), 894-904.
オー・ヘンリー『魔女のパン』, 千葉茂樹訳, 静山社, 2023年.