杉山倫也先生「生まれ変わっても同じ人生を?」―生活を仕組み化するという考え方―
2026.08.03
前回のコラム「なんでそーなるの?」は、それ自体、副題の通りの「行為の意図せざる結果」でした。つまり意図していた着地点があったにもかかわらず、別の話になってしまいました。
文章を書くと大体こうなります。
一文書いて、次の文へ、とつなげていくと、そもそもの意図とは違う方向へ文が進んでいきます。まるで文自体が別の意図をもっているかのようです。文章執筆は不思議です。
もともと、「行為の意図せざる結果」の実例として挙げるつもりであった書物があります。それはマックス・ヴェーバー(Weber, Maximilian Carl Emil, 1864–1920)の『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1904–05)です。
同書は経済行動の背後にある精神構造を解明した古典です。近代資本主義の成立を宗教倫理と結び付けて説明しました。特にカルヴァン派に代表されるプロテスタントの禁欲的職業倫理が合理的・継続的な資本蓄積を促したと論じます。
ヴェーバーのこの説明図式がどうであるか、については専門家に委ねます。
ただ、多くの論者は、これを「行為の意図せざる結果」の代表的な事例であると指摘しています。それに従っておきます。
ヴェーバーは、本書において、その分析のための事例としてある人物を取り上げています。ベンジャミン・フランクリン(Franklin, Benjamin, 1706-1790)です。
周知の通り、フランクリンは「アメリカ建国の父」の一人です。政治家、実業家、思想家、そして科学者として活躍しました。有名な話として、凧の実験により雷が電気であると示しました。遠近両用眼鏡を発明した人物でもあります。(私は、幸運にも、まだそれを使っておりません。)
ヴェーバーは、『フランクリン自伝』における「13徳」を取り上げ、分析します。そこに、宗教的な倫理が、その宗教性を失いながら、現世における成功への手段をとなっていく様を見出します。
こう書けば、えらく難しい話です。
見方を変えれば、現代の「自己啓発」的な方法論のルーツといえます。
「成功するための7つの方法」とか「20代にしておきたい10のこと」とか。「子どもに身につけさせたい7つのこと」とか。SNSとか、ショートリール動画とかから頻繁に流れてくるアレです。
もちろん、フランクリンのそれは、そんな軽い体裁をとっているわけでもありません。「13徳」というのは、次のとおりです。
「第一 節制、第二 沈黙、第三 規律、第四 決断、第五 節約、第六 勤勉、第七 誠実、第八 正義、第九 中庸、第十 清潔、第十一 平静、第十二 純潔、第十三 謙譲」
内容は、大体見ればわかります。今風に置き換えれば、例えば「第二 沈黙」は、SNSに無駄な投稿はするな。(あるいはよく考えてからにしろ。)「第十 清潔」は、デスク周りを片付けろ、とかPC内の書類やデータを整理しろ。こんな風に考えたらよいでしょう。
フランクリンは、これらを「習慣」にしようと試みました。言い換えれば、生活の「仕組み化」です。そのため「散漫」にならないように、ひとつひとつクリアしていこうとしました。手帳を作り、毎日その「過失」を書き込んでいったそうです。
具体的に言えば「ToDo管理」です。「PDCAサイクル」もその一種ですね。今であれば、そういう類のアプリを開発したでしょう。
「20代にしておきたい事柄」でも「できるビジネスマンになる方法」でも、その手の類の本の内容は、要するに「仕組み化」です。
雑把に言ってしまえば、フランクリンの「13徳」はその源流の一つです。
そんな『フランクリン自伝』において、私に最も刺さったのは、次の文章です
「もしもお前の好きなようにしてよいと言われたならば、私はいままでの生涯を初めからそのまま繰り返すことに少しも異存はない。ただし、著述家が初版の間違いを再版で訂正するあの便宜だけは与えてほしいが」
意訳すれば、「生まれ変わっても、同じ人生で良い(できれば多少は修正をしたい)」となります。「仕組み化」が成功したのですね。
「生まれ変わったら何になりたい(どうありたい)」とは、日常において、割と考える事柄です。
皆さんはどうですか。
私は、若き日、授業終了後にある学生からこの問いを投げかけられました。
唐突な質問に、一瞬とまどいながらも、即答しました。
「ヘビー級」と。
引用文献
マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』,大塚久雄訳, 岩波書店, 1989.
ベンジャミン・フランクリン『フランクリン自伝』, 松本慎一・西川正身訳, 岩波書店, 1957.




