杉山倫也先生「読書はつながる、どこまでも」―1993年の記憶―

2026.08.10

 平川祐弘『進歩がまだ希望であった頃―フランクリンと福沢諭吉―』という本があります。同書は、フランクリンと福沢諭吉が「似ている」として、その『自伝』と人物を比較した、比較精神史(比較思想史)の名作です。
 平川氏はこういいます。
 「……この二人(フランクリンと福沢)ははたして何れが価値ある偉人であるか。連邦銀行券において百ドル紙幣に顔を貸すフランクリンは邦貨に換算して二万三千四百円。よってフランクリンは福沢の二・三四倍の値打ちがある……」(『新潮』1984年2月号あとがき)
 「フランクリンは以前は福沢の三・六倍の価値があったが最近は一・四倍程度になった」(講談社学術文庫版1990年へのあとがき)
 これらはともに、平川氏のジョークです。
 なるほど、100ドル紙幣と万札のメインビジュアルであるフランクリンと福沢にかけたジョークです。
 それが1984年には1ドル234円だったから、2.34倍だ、と。
 この翌年1985年のプラザ合意から、円高が進みました。
 1986年には120円くらいまで円高になります。
 この後、バブルに突入していきます。私が大学生になった頃、急に、アメリカ製のスニーカーやラケットが安くなったのを覚えています。イメージ的には半額になったような。「円高差益還元」のPOPがお店にありました。
 1990年になると、金融引き締めによってバブル経済が崩壊し始めます。
 その頃、1.4倍、つまり140円程度だったのですね。
 以前のコラムにも書きました。就職の売り手市場の年です。
 ちなみに、1995年には79円でした。バブル崩壊後、世界の福沢、圧勝、だったのです。
 今、2026年6月時点では、160円程度です。1.6倍ですか。なかなかの好勝負です。
 ただし、万札のメインビジュアルは渋沢栄一(1840-1931)に変わってしまいました。もう、フランクリンと福沢の対決ではありません。
 『進歩がまだ希望であった頃』については、記録によれば「1993年12月24日読了」とあります。
 これまで、このコラムにて紹介した『福翁自伝』は「1993年12月16日読了」です。
 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は「1993年9月30日読了」、『フランクリン自伝』は「1993年5月19日読了」です。
 時系列に並べるとこうなります。
 1 『フランクリン自伝』
 2 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
 3 『福翁自伝』
 4 『進歩がまだ希望であった頃』
 こんな順番で読んでいたのですね。すべて1993年の出来事です。
 おぼろげながら、大学院生時代の仲間、いうなれば読書仲間と競い合うように読んでいた記憶があります。
 「『フランクリン自伝』を読んだなら、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読んでみると良いよ。」とか「じゃあ、『福翁自伝』も読んだよね?」とか。「だったら、平川の『進歩がまだ希望であった頃』を読まないとね。」
 大学院生室やカフェ(ドトールかベローチェ)での会話は、こんな風でした。
 とはいえ、このコラムの大事なところはそこではありません。
 これらの本を読んだのが、1993年、という点です。
 この年には、ひとつの歴史的な出来事がありました。
 「ドーハの悲劇」です。
 今、私はこのコラムを、W杯、日本vs.ブラジルの試合前に書いています。

引用文献

平川祐弘『進歩がまだ希望であった頃』,講談社,1990年.