佐久間先生:教育史研究こぼれ話Vol.1:本物はどれだ?―― 資料批判の重要性

2013.07.05
佐久間 裕之

これは教育史研究に限ったことではありませんが、研究を進めるうえで大変重要となるのが、まず、研究で使用する資料が本物かどうか、信頼できるものかどうかを確認する作業です。この作業は一般に資料批判と呼ばれています。私自身が体験した、資料批判をめぐるエピソードを一つ紹介しましょう。

私は、ドイツの教育思想史・教育哲学を研究しています。いくつかの研究テーマを持っていますが、そのうちの一つが、玉川大学の名誉教授でもあったオットー・フリードリヒ・ボルノーの人間学的教育学の研究です。ここで言われている「人間学的」という言葉は、哲学的人間学に由来します。思想史において哲学的人間学の創始者の一人と位置付けられている人物は、ドイツのマックス・シェーラーです。ボルノーの人間学的教育学を理解するためには、その思想的背景にある哲学的人間学についても学ばなければなりません。当然ですが、私は、シェーラーの哲学的人間学に関する最重要の著作『宇宙における人間の地位(Die Stellung des Menschen im Kosmos)』もひも解くことになりました。

ところで、このシェーラーの著作は1928年に初版が出ていますが、その後も版を重ねていきます。現在最も入手しやすいのは、『シェーラー全集第9巻(Gesammelte Werke; Bd. 9)』(Manfred S. Frings編、1995年)所収のものでしょう。さて、あなたがもしこの本を読むのなら、まずはどの版で読もうとするでしょうか。どの版でもいい、と思うでしょうか。あるいは、全ての版を手に入れて、時系列的にその変遷も踏まえて読もうとするでしょうか。思想家によって事情は異なりますので、ここではシェーラーの場合、ということを頭に入れて読んでください。資料批判という点からいえば、この本の場合、1947年版以降のものは信憑性に疑念が生じるものとなっています。それは、なぜでしょう。

シェーラーは1928年に亡くなっていますが、同年、本書の初版が出されています。彼自身が原稿・校正に目を通すことができたのは、この初版のみです。その後の版も1947年版より前のものは初版の重版ですが、1947年版からは、原文に変更が加えられています。今、私は「原文に変更が加えられています」と書きました。不思議だと思いませんか。シェーラーは1928年に亡くなっているのですから。彼の「亡霊」が変更を加えたのでしょうか。いいえ、そうではありません。変更を加えたのは、シェーラーの妻、マリア・シェーラーです。

もともと本書は1927年4月28日にドイツ・ダルムシュタット市でシェーラーが行った講演「人間の特殊地位」がもとになっています。マリアは1947年版に自分の名前入りのまえがきを加え、この「新版」は、1927年の講演原稿に基づいて「補完」されたものであると述べています。その方が、シェーラーの意図にかなっているというのです。しかし、この講演原稿はシェーラーの遺稿の中に見つかっていませんし、シェーラー自身がこのような「補完」を本当に望んでいたのかは不明です。現在最も入手しやすい前述の『シェーラー全集第9巻』も、マリアの改変の影響を受けたものとなっています。少なくとも本書の場合、著者自身が目を通すことができた唯一の版は、1928年の初版のみとなります。ボルノーは、本書が登場した1928年という年を、哲学的人間学誕生の年と呼んでいます。そのような「歴史的なドキュメントをひも解く」という意味においても、1928年の初版は、本書の場合、特別な位置を占めているのです。

※私自身のシェーラー研究に関する成果の一部は、次の文献に収められています。
佐久間裕之「シェーラー『宇宙における人間の地位』」(三井善止編『人間学の名著を読む』玉川大学出版部、2003年、103-122頁所収)