佐久間先生:教育史研究こぼれ話Vol.3:足で稼ぐ!―― 現地訪問の重要性

2013.07.22
佐久間 裕之

2008年4月から2009年3月にかけて、私はペーター・ペーターゼンのイエナ・プランを研究するため、ドイツに滞在しました。特にイエナ・プランの成立史、イエナ・プランの教育思想的特質、そしてイエナ・プラン校の現状について調べることが目的でした。私が研究の拠点としたのは、ノルトライン=ヴェストファーレン州にあるミュンスター大学です。この大学は、かつてペーターゼンの愛弟子ハインリヒ・デップ=フォアヴァルトをはじめとして、ヴィルヘルム・コッセ、ディートリヒ・ベンナー、ヘルヴァルト・ケンパーなど錚々たるメンバーが在籍し、ペーターゼン研究の拠点の一つとなってきた大学です。

さて、ミュンスター大学は、「ペーターゼン研究の拠点の一つ」でもあるわけですから、ペーターゼンの著作や関連資料などが、さぞかしたくさんあるに違いないと思われるかもしれません。現在では、日本に居ながらドイツの大学図書館の目録検索もたやすくできる時代です。ドイツへ赴く前に、私はこの大学の文献目録を日本で検索しましたが、ペーターゼンに関する資料が取り立てて多くあるわけでもないな、と思っていました。ところが、現地滞在によって、私は驚くべき事実に遭遇することになります。

ドイツ滞在中、私はミュンスター大学名誉教授のハラルト・ルートヴィヒ先生のお世話になりました。ルートヴィヒ先生は、私のために研究室をご用意くださったのですが、この研究室には鍵のかかった古めかしい木製の書架が存在していました。その書架の上にはペーターゼンの写真も掲げられています。ルートヴィヒ先生に、この書架は何ですかと尋ねました。すると先生は、この書架が何と現在ドイツの大学としては唯一のペーターゼン文庫(Petersen-Archiv der Universität Münster)であると説明してくださったのです。この文庫は、もともとペーターゼン自身がデップ=フォアヴァルトに託した貴重な資料がもとになってできたもので、ペーターゼンの一次資料364点、二次資料608点が所蔵されています。これらの存在は一般には知られていませんし、ミュンスター大学の文献目録で検索しても出てきません。私は現地に来て、この文庫の存在を初めて知り、身の震える思いがしました。ルートヴィヒ先生は、私にこの文庫の鍵を手渡され、自由に閲覧することを許されました。

また、ルートヴィヒ先生から、ニーダーザクセン州フェヒタにペーターゼンの親族による私設ペーターゼン文庫(Peter- Petersen Archiv Vechta)があることも教えていただきました。この文庫は、現在ペーターゼンの孫のペーター・レンメルト氏が管理しています。私はルートヴィヒ先生を通じてレンメルト氏と知り合うことができ、まだ学術的評価の得られていない約3,500点の資料が保管されたペーターゼン文庫を閲覧することができました。そこで私は、イエナ・プランについてペーターゼンが初めて発表した1927年8月のNEF第4回国際会議の発表草稿など、貴重な資料を手にすることができたのです。また、ペーターゼンは速記を得意としていて、この発表草稿をはじめ多くの手稿が速記で残されていることを、そこで初めて知り、大変驚きました。これも現地で得られた収穫の一つです。

ところで、イエナ・プランには対話、遊び、作業、行事といった「学習と自己形成の四つの原型」や、学年別学級制を廃止した基幹集団(Stammgruppe)による学校生活など、さまざまな特徴があります。特に、基幹集団について、ペーターゼン自身、試行錯誤を繰り返していましたが、最終的には、3学年を混合する形に落ち着きました。私はペーターゼンの郷里グローセンヴィーエ、イエナ・プラン発祥の地であるイエナ、戦後のイエナ・プランの拠点となったケルン、そしてドイツの首都ベルリン等に存在する重要なイエナ・プラン校を訪問し、その歴史と現状についても調査を行いました。それによって、イエナ・プランの最も重要な特徴の一つとされる基幹集団の構成法が各校でかなり異なっているということもわかってきました。これも現地で得られた成果の一つです。

このように、現地訪問は研究を刺激する新しい発見や驚きに満ちているのです。

  • ドイツ滞在中の成果の一部は、次の文献にあります。
    Hiroyuki Sakuma (2008): Die heutige Bedeutung des "pädagogischen Realismus" bei Peter Petersen, in: KINDERLEBEN, Zeitschrift für Jenaplan-Pädagogik, Heft 28, 2008, S. 21-23.