坂野先生:教育学研究あれこれVol.3:どのように研究の幅を広げたのか

2013.08.19

1989-90年のドイツ留学を終え、日本の博士課程の学生に戻りました。日本に戻って半年後に幸運にも大学の助手に採用され、大学院は都合7年で終えることとなりました。それでも通常は5年で終えるところですから、かなりゆっくりであったといえます。(当時もオーバードクターと呼ばれる就職先のない大学院学生が多くいましたが……)

当時の旧帝国大学の助手という立場は、原則として大学で単独の授業は行わず、教授等の教育と研究を補佐し、同時に自分の研究を進める立場でした。この時期に他の先生方と共同で研究を進めたことが、研究者としての視野を広げてくれました。日本の教育政策についても関心を持って調査を行い、文献もよく読みました。そのことがドイツと日本との共通点と相違点とを考えることに役立ちました。研究対象も、中等教育のみならず、教育行政や教育経営へと広がり、多面的に対象を分析する習慣を身につける訓練となりました。

助手を2年9ヶ月経験した後、文部省の国立教育研究所(当時)に採用されることとなりました。多くの教育研究者がおり、研究上の刺激を受けました。アメリカ、イギリス、中国等諸外国の研究者や、教育経営学、教育行政学、教育心理学等の異なる手法を持った研究者のいる研究所は、若手研究員である自分の研究を進めるための良い研鑽の場となりました。特に日本の高校改革を共同研究として実施したこと*は、ドイツと比較するためにも有益でした。また、研究所には会議や授業の負担がなく、自分の研究と共同研究を自由に進められる雰囲気がありました。

博士論文の第1部(普通教育政策)と第2部(職業教育・訓練政策)は比較的順調にまとめることができましたが、第3部の両者の統合をまとめるのには苦労がありました。こちらの意図する論文や統計がうまく見つからなかったのです。しかし、関係する論文をようやく見つけ、参考としながら、どうにかまとめることができました。大学院の指導教員が定年退官となる前に博士論文を書き上げ、博士の学位を得ることができたのは、指導教官への「ご恩返し」になったと思います(第1回の文献参照)。

博士論文を書いている間は、興味や関心をそそるテーマがあっても、自分のテーマに集中する必要があります。そのことによって、何か学問の道筋のようなものが見えてくるのです。後からわかることですが、博士論文で研究の道筋を探り当てると、他の対象や時代のものでも、分析するポイントを外すことはあまりなくなるように思います。

その後、中等教育以外(例えば小学校や大学)の領域や、学校参加や学校選択といった、その時々の教育政策の課題を、日本とドイツを中心に研究していくことになりました。総合的な学習の時間や、学校評価といった課題も視野に入るようになってきました。

  • 菊池栄治編著(1997)『高校教育改革の総合的研究』多賀出版
    月刊高校教育編集部(2008)『高校改革のいま』学事出版