山口先生:「正義」の源流Vol.2:ハムラビ法典の内容-復讐と正義-

2013.10.28

こうした「釣り合い=正義」という観点からハムラビ法典を読んでみると、それが「正義の法典」を意味していることがよく分かります。なぜなら、ハムラビ法典は人の目を傷つけたならば自分の目で、人の歯を砕いたときは自分の歯で、応報的な償いを受けねばならない、あるいはそれ相当の対価(「金銭」など)によって償わねばならないという「同害原則」を意味しているからです。

「ハムラビ法典は復讐法である」という誤解ばかりが先行し、「悪名高きハムラビ法典の目には目を歯には歯を」とした形の引用が多いようですが、不思議なことに原典からの引用をほとんど目にすることがありません。そこで「復讐法」という誤解を解くためにもその鍵となる部分を引用してみましょう。まずは一番有名な部分です。(以下の引用文は松田明三郎訳によります。)

「人もし、自由人の眼を傷つけたる時には、彼自身の眼も傷つけられるべし」(第196条)
「人もし、自由人の骨を挫きたる時には、彼自身の骨も挫かるべし」(第197条)
「人もし、同階級の人の歯を挫きたる時には、彼自らの歯も挫かるべし」(第200条)

上記のいずれをみても、同害による応報の原則を語っているにすぎず、「やられたらやり返す、倍返し」というような復讐を奨励しているわけではありません。さらに、いかなる場合も応報的な「同害原則」が適用されるかというと、必ずしもそうではありません。下位階級の者に対する傷害は同害原則から除外されますので、それをみてみましょう。

「人〔自由人〕もし、平民の歯を挫きたる時には、銀一ミナの三分の一をもて償ふべし」(第201条)

また、頬を打つくらいの軽微な傷害も同害原則から除外されます。

「もし平民、彼と同階級の平民の頬を打たば、銀一ミナをもて償ふべし。」(第203条)

このように常に「同害原則」が貫かれているのではなく、金銭(銀)による償いも規定されているのです。さらには過失による傷害や殺人も同様に「同害原則」からの免責がなされています。

「人もし、他の人と争ひて彼を打ち、彼を傷つけたる場合には、その人誓ひて、「我悪意をもて打ちたるに非ず」と云ふべし。而して彼は、医者の治療費を支払ふべし。」(第206条)
「もし、彼の打撃に依って、彼死したる場合には、「彼前の如く」誓ひて、彼平民たる時には、銀二分の一ミナを支払ふべし。」(第207条)

このように過失による傷害や致死であれば、「悪意をもってしたのではないこと」を表明することで、同害原則から免れそれを金銭による賠償で償うことができるのです。(続)