国際理解教育学会に参加して

2019.07.03

この春私はIBについて深く学び、IB校に関する研究を行おうと思いたち、関西から関東の大学院へ入学を決めた。昨年度は学部の卒業論文執筆や大学院入試の準備などで忙しかったため学会に参加することができず、私にとって今回の国際理解教育学会は1年ぶりの学会参加となった。大別して2つの理由から学会参加を決めた。IBの研究の中でも自分自身の興味・関心と近い研究発表が行われる予定があったこと、教育実践者の研究発表が他学会と比べて多く含まれていたことが参加を決めるきっかけになった。    
研究発表では私が見たかった研究発表は全て見ることができた。発表を聞いて疑問に思ったことをまとめ、情報交換会の時に発表者に聞きに行き一緒に考えることができた為、学会発表と情報交換会に参加したことは自分の研究を進める上でもとても良かった。
また自分の研究に関連しない発表からも多くの知見を得ることができた。一番大きい学びだと思ったことは「大きな主語」に関する問題である。ある難民問題の研究発表を聞いた時だったが、その研究では「難民問題の渦中にある人々を難民と捉えることで個人の固有の問題や生活文化を踏まえた一人の生活者としての姿が見えなくなること」を指摘していた。この知見は私にとって非常に大きなことであった。私はIBの研究をするにあたって心のどこかでIB特有の・IB独自の、という言葉にとらわれ過ぎていたのかもしれない。IB校と主語を大きくすることで、その学校が歩んできた歴史やその学校が持つ風土・文化は見えにくくなっていたのかもしれない。その為、主語を大きくしすぎる危険性があることを知ったことは私にとって重要な知見であった。
シンポジウムは公開シンポジウムと異己シンポジウムの二本立てであり、私は公開シンポジウムに参加した。決め手は「水・気候変動」を統一のテーマとした各国の学校の教育実践がどのように絡み合うことができるのか、について興味が湧いたからである。地球の問題を中心に考えて各国の実践が育まれている様子を知ることができた。また各国の教育実践ではアクターのエージェンシーがどのように取り扱われているかについても興味を持つことができた。以上の点で私にとって意義のあるシンポジウムとなった。浅薄な私が提示する教育の次の段階はグローバル問題を中心として生まれた各国の実践を協同のなかで編み直していく作業なのだろうと考えることができた。
今回の学会参加は自分自身にとって励みになるものであった。もう1年の半分が終わろうとしている。残りの1年と少しを価値のあるものにしていきたいと思うばかりである。

IBコース1年 T.R.