竹田先生Vol.11:授業力を磨く③...授業を内側から見る

2016.11.21

「教育的瞬間」をとらえる力は、どうしたら身につけることができるのでしょうか。漫然と経験を重ねているだけや、授業についての知識や技能を学ぶだけでは「教育的瞬間」をとらえる力が身につくとは思えません。それは、一人一人の教師が授業を公開し合う校内研修としての授業研究をおいて他にないのではないでしょうか。
ここで言う授業研究とは、授業の良し悪しや教師の教え方など技術的なことを論ずることではなく、子どもに視点をあてて、子どもがどのように学んでいたか子どもの事実に即して教師一人一人が自分の言葉で語り合い、学び合うことを意味しています。換言するならば、授業を外側から見るのではなく、内側から見ることを忘れてはいけないということです。
授業は多様な要素が複雑に絡み合って織り成されるものであり、1時間の授業の中ではいろんな事が起こっています。授業を外側から見るか内側から見るかによって、その後の協議の内容や深まりが大きく違ってきます。授業を外側から見るとは、指導案に基づいて授業がどのように展開されているか教室の後ろから教師の動きを中心に授業を観察することです。授業を内側から見るとは、子どもの表情が見える位置から、子どもの反応やつぶやきなど、子どもの学びの姿を中心に授業を観察することです。前者の見方では、授業の進め方など教師の指導法に関したことが協議の中心になってきます。後者の見方では、一人一人の子どもの反応や相互のつながり、教材とのかかわり、そしてそれらに教師がどうかかわっていたか、子どもの学びの過程が協議の中心になってきます。
どちらか一方のみの見方ではなく、内側から見るという視点をベースに置きながら、子どもの具体的な学びの姿とのかかわりで、教師の指導のあり方はどうであったかという外側からの視点を生かしていくような多面的な授業の見方が必要であると考えます。
子どもの学びの姿は実に様々です。今、授業研究に求められるのは、授業の中での具体的なエピソード、つぶやき、やりとり等を見逃さずに記録にとどめながら、授業における子どもの学びの姿やそれを支える教師の働きかけ、教材のあり方について具体的な場面をめぐって話し合うことです。
そのような授業を内側から見合う授業研究を通してこそ、一人ひとりの教師の「教育的瞬間」をとらえる力が磨かれていくのではないでしょうか。