松本先生Vol.12:いわゆる協同的な学習の問題点(4)

2017.01.13

協同的な学習の推進を標榜して授業を行っている教師の多くが、教材研究があまりにも不足したまま授業に臨んでいる。たんなる手順として協同的な学習を構成してしまうのが、多くの教師の実態であることが推察される。
もう一つ、協同でなければ達成できない学習内容とはいったい何なのかという問題がある。こうした学習に欠けているのは、根拠を明確にした思考と、それを他者との交流によって再検討し、メタ認知して明確化するプロセスとして協同的な学習を成立させるデザインである。
中学校の授業で、「あなたが社長だったとして、四国に自動車工場を作るにはどこに作るのがよいか」という学習課題が与えられ、個人で考えたあと、グループで話しあって一案をまとめ、根拠と理由付けを発表する、という学習を見た。あるグループは、なんとなく話しあった末に、高松空港のそばに作るという提案をする。理由は部品や製品を空輸しやすいというものである。しかし、港のそばに作るという提案との比較ができない。なぜかというと、自動車の部品や製品が実際にはどの程度船舶に依存してどの程度空輸に依存しているかというデータがないからである。私は授業者に、そのデータをなぜ提示しなかったのか? と訊ねた。授業者はそのデータを持っていなかった、そんなことも調べずに授業をやろうというのがすでに問題である。「問い」「課題」を考える際には、先の俳句の学習にもあるように、学習者がどのようなリソースにアクセスできるのかも同時に検討しなければならない。型としての協同学習を取り入れる教師の多くが教材研究をしないですむと思っているらしいことは感じていたが、実はむしろ、協同学習のデザインにはより深い教材研究が不可欠である。