松本先生Vol.1:「国語人」としての私(1)

2015.06.26

私は、大学は筑波大学で、専攻は教育学でした。学部で教育学専攻出身の国語教育研究者は少なく、あまりお目にかかりません。たまたま筑波大学は卒業研究に何を選んでも良く、大学院にも教科教育のゼミがあったので、人文科教育専攻(言語教育ですね)の先生を指導教員に選ぶことができました。しかし、最初から教科教育学を専門にしようと思って大学に行ったのではなく、進学の段階では、学校教育制度を研究しようと考えていました。しかし、進学してから気づいたのは、日本の教育制度は教育学研究者の研究の成果として決まってきたわけではなく、むしろ関係のない行政・政治主導で決まってきたということです。制度論は制度に影響を持たねばならないと単純に考えていた当時は、教育を本当に支え、また変えていけるのは何かと考えたら、それは授業そのものなのではないかと考えるに至ったわけです。
得意教科でもあり、もっとも人間の根幹的な部分にかかわると考え、国語を教科に選ぼうと思いました。オムニバス講義で出会った湊吉正先生の言語学や言語哲学に近い講義を受けて、この領域にしようと考え、大学1年生の時に「入門」しました。中高国語の免許をとるため、違う学類(学部のような組織)の講義ばかりとっていたため、専攻替えをするものと周りには思われていたふしもありました。湊先生は、その昔の言語学者、熊沢龍門下の人で、若い時期にはNHKの放送文化研究所にも在籍していた典型的な「研究者」でした。地味な学風でしたが、きちんとした背景から言語教育を考えるその姿勢に共感しましたし、そもそも哲学が好きだったこともあり、ソシュールやロラン・バルトなどを読みあさるちょっと変わった学生だったのです。