松本先生Vol.3:「国語人」としての私(3)

2015.07.13

運動体的な教育研究団体がもともと嫌いだったこともあり、私たちのグループ・ブリコラージュは基本は研究的な姿勢でやってきました。2月に一回、実践研究論文を持ち寄って綴じ込みの研究誌を作り、合評会をやるという同人誌的な活動です。ただ、変わっていたのは授業研究をやるということと、そこに様々な教材研究のための学際的な理論検討をするという点です。当時の高校教員は研究というと、「枕草子における連体詞の用法」だの、「小林秀雄の批評における美」だの、文学部の卒論みたいなのが多かったのです。まあ、高校教師の大半が文学部出身なのだから当たり前といえば当たり前ですが、私は、紀要の巻頭言で「紫式部日記」を読んだことがないことより「方法序説」を読んだことがない方が、国語教師としては問題だというようなことを書いて、ベテランを挑発していました。勢い、当時はやりの記号学の影響を受けた教材研究や授業研究を行うことになり、その方法論は今も私の基本線になっています。いわば、ニュータイプの「国語人」を目指したわけです。