松本先生Vol.4:「国語人」としての私(4)

2015.07.16

私が高校国語教師としてつとめたのは13年と半年でした。その間にグループ・ブリコラージュの「紀要」に書いた論文のタイトルは次のようなものです。

  • 「媒介としての門―『羅生門』研究―」
  • 「中心の構造・構造の中心―テクストとしての俳句へ―」
  • 「夢の領分―教材としての往昔作品」
  • 「「象徴」の意味―現実と夢想の間―」
  • 「レトリックと国語教育」
  • 「「童謡」論」
  • 「読者論における倫理の問題」
  • 「古典作品の読みにおける解釈学的問題」
  • 「思考する状態の美学―森有正『霧の朝』の教材化研究―」
  • 「言語の規範性についての試論―国語教師のとるべき姿勢について―」
  • 「カフカ的なるものとの対話」

この研究会はホームグランドであり、いかにもやりたいことをやってきたことがわかります。徐々に始めていった学会誌への投稿では、「小説作品の意味づけにおける生徒の意識―吉行淳之介『童謡』をどう読んだか―」というようなタイトルにしており、それなりに行儀良くなっています。要するに私は「国語人」像を刷新したかったので、それは認識の根本としての言語にかかわる国語の学習を習得モデルから創造モデルに変えようという試みでした。そしてその試みの成果を問う暇もなく、あたらしい大学研究者というポジションに移動していったのです。