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玉川が初

2016.11.24

玉川学園の教育・研究には、「玉川初」という取り組みがたくさんあります。

1.「全人教育」を提唱し、教育理念とした学校

玉川学園創立者小原國芳は、1921(大正10)年「八大教育主張講演会」において「全人教育」を提唱した。全人教育とは、「真(学問)・善(道徳)・美(芸術)・聖(宗教)・健(健康)・富(生活)」という6つの価値創造を目指した教育を追求するという理念を表している。玉川学園は創立以来、この「全人教育」を教育理念の中心として、学問、道徳、芸術、宗教、健康、生活の6方面の人間文化を豊かに形成することを実践してきた。その実現に向けて「12の教育信条」を掲げて、総合学園として一貫した教育活動を展開している。また、全学共通の「玉川モットー」を掲げ、難関に挑戦していく「人生の開拓者」を育てていくことをも使命としている。

2.学校劇

日本の「学校劇」の名付けの親、育ての親は小原國芳である。学校劇と名付けられたのは、國芳が広島高等師範学校付属小学校の理事をしていた時のこと。そこでの年2回の学芸会を学校劇と名付けた。やがて、学校劇は、年2回の学芸会や全国初等教育大会においての発表、教育機関誌『学校教育』誌上での紹介などにより全国的な注目を集めた。玉川学園の創立を機に演劇教育はさらに盛り上がりを見せ、『玉川学園学校劇集』は全国の小学校・中学校に広がり戦後の演劇教育に大きく貢献した。

『ピノキオ』(昭和23年)
『王子と乞食』(昭和32年)

3.日本で初めての児童向けの百科辞典『児童百科大辞典』

玉川大学出版部の前身である玉川学園出版部は、1932年(昭和7年)日本ではじめての子供向けの百科辞典『児童百科大辞典』(全30巻)を刊行した。これは、夢の教育と理想の学園建設のためには体系的な百科辞典が不可欠であるとして実現した。
そのきっかけとなったのには、小原國芳の恩師ともいえる澤柳政太郎の存在がある。文部官僚や数々の大学の学長を歴任した澤柳は、1917(大正6)年に新教育の実験校として私立の成城尋常小学校を設立、自ら校長となる。そして長田新の推薦により小原を招聘したことが、2人が出会うきっかけとなった。その後澤柳は1926(大正15)年に大正大学学長に就任。そして1927(昭和2)年6月には国際会議出席を兼ねた世界教育視察に出発する。同年11月には帰国するのだが、大陸性悪性猩紅熱に罹患し、帰国からまだ日も浅い12月にこの世を去ることとなる。そんな澤柳が海外視察の土産品として小原に贈ったのが、イギリス人アーサー・ミーが編纂したアメリカの児童百科辞典『The Book of Knowledge』だった。そのとき澤柳はこの辞典と共に「自学自律の教育には絶対に児童のための百科全書が生まれねばならぬ。お前ひとつやってみないか」というメッセージを小原へ残している。そしてこの一言から、子供のための百科辞典の編纂事業がスタートすることになった。しかし、百科辞典の出版は大手の出版社でも戸惑うほどの一大事業。小原は、澤柳の逝去後に次のように記している。「澤柳先生が逝去されて、いよいよ痛感しました。先生の遺言だと思って、無鉄砲に始めました」それほどの一大決心の出版であった。
この流れは、戦後の『学習大辞典』(全30巻)、『玉川児童百科大辞典』(全30巻)、『玉川こども百科』(全100巻)、『玉川百科大辞典』(全31巻)、『玉川新百科』(全10巻)、『玉川こども・きょういく百科』(全31巻)などにつながっている。さらには、玉川学園創立90周年記念出版として『玉川百科 こども博物誌』(全12巻)が小原芳明学長監修のもと刊行が開始された。

玉川児童百科

4.開発に30年、世界初の黄色いコスモス

世界で初めての黄色い花を咲かせるコスモス。それは、玉川大学農学部の育種学研究室が30年以上の歳月をかけて開発し、1987(昭和62)年に品種登録された「イエローガーデン」。今ではさまざまな色のコスモスの花を目にするようになったが、イエローガーデンが開発される以前、コスモスの花の色は真紅、ピンク、白などに限られていた。1957(昭和32)年、育種学研究室の佐俣淑彦教授が紅系のコスモスの中に、突然変異で黄色く発色した株を発見した。その株をもとに20年以上にわたって交配実験を繰り返し行い、より黄色味を帯びた株の選抜に取り組み、1980(昭和55)年頃から鮮やかな黄色い花が定着してきたことにより、1987(昭和62)年に種苗法に基づいて世界初の黄色いコスモス「イエローガーデン」が登録された。小原國芳は著書『全人教育論』に真・善・美・聖・健・富の6つの価値を創造することが教育の理想だとし、「この6つの文化価値が、秋の庭前に整然と花咲いとるコスモスCosmosの花のように、調和的に成長してほしいのです」と著した。今では、コスモスの花は教育の理想として例えられるだけでなく、玉川学園にとって大変身近な花になっている。
その後、本学においてオレンジ発色の「オレンジキャンパス」も開発され、登録された。

5.デンマーク体操の第一人者であるニルス・ブック氏を日本で初めて招聘

子供たちの健康教育のため、デンマーク体操の第一人者であるニルス・ブック氏を学園に招聘した。ニルス・ブックは、1912(大正1)年のスウェーデン・ストックホルムのオリンピックでデンマーク体操団を指揮するなど、体操家として活躍。「デンマーク・オレロップ国民高等体操学校(現・オレロップ体操アカデミー)」の創始者であり、「デンマーク体操(基本体操)」を考案した人物である。デンマーク体操とは、青少年の体の基礎的改造、矯正、発育促進を目的として考案された民衆体操のこと。人間の呼吸に合わせたリズミカルな動きを取り入れた躍動感あふれる体操で、筋力の強化だけでなく柔軟性や巧緻性(機敏性)も向上させるのが特徴だ。
1931(昭和6)年9月、ニルス・ブック体操団の一行26人が来日。来園時に、玉川学園は「オレロップ国民高等体操学校東洋分校」として承認された。もともとは玉川学園の児童・生徒の健康教育のために招聘された体操団であったが、ブックは全国の青少年の健康促進を目的として、日本全国40数カ所、足かけ48日にわたって実演と講演を行った。その結果、デンマーク体操を独自に取り入れた「海軍体操」が全海軍に普及。海軍のほかにも、航空隊や商船学校、鉄道省が積極的にデンマーク体操を取り入れ、「航空体操」「国鉄体操」が作られた。さらに、1932年には全日本体操連盟によって創案された「ラジオ体操」(第二体操)にも、デンマーク体操の原型が取り入れられた。デンマーク体操はこうして、さまざまに形を変えながら普及。全国津々浦々、日本国民の健康づくりに貢献してきたといえる。

中央がニルス・ブック
ニルス・ブック体操団

6.「どじょっこふなっこ」は公演旅行中に誕生

玉川学園では、日頃の体操と音楽の成果を地方へと伝えていこうということになり、当時日本各地で講演を行っていた小原國芳と共に全国を回る公演旅行が開始された。最初の公演旅行は1936(昭和11)年の4月から5月にかけて、東北地方を回ることで実現した。この公演旅行で秋田市郊外の金足西小学校を訪れ、体操や合唱の披露が終わった後、一行の歓迎会が催された。歓迎会は玉川学園の合唱と秋田県の民謡やいろいろな芸能を交互に発表し合うというかたちで行われた。何度か交歓が行われた後、秋田側で指名により立ったのが中道松之助。この先生がたまたま歌ったのが、「どじょっこふなっこ」の原曲だったのだ。ただ、この時に披露されたのは「ハァー、春になれば氷(すが)こもとけて・・・」といった詩吟調のもので、現在歌われているメロディーとは全く違ったものであった。当時音楽教師として同行していた岡本敏明が興味を示し、その場で男声合唱用に採譜を始め現在のメロディーに仕上げた。やがて会が終わる頃になると、今度は生徒たちが、混声三部の合唱で「どじょっこふなっこ」を先生方に披露した。会場内は大いに盛り上がったという。
こうして「どじょっこふなっこ」は、この歓迎会の会場で誕生した。そしてこの歌は生徒たちによってすぐに練習され、翌日の本荘市での公演でも披露。大喝采を受けたという。

7.「かえるの合唱」も玉川発

玉川学園によって広く知られるようになった歌に「かえるの合唱」がある。子どもの頃に誰もが友だちと一緒に歌ったであろう、代表的な輪唱曲である。「かえるのうたがきこえてくるよ クヮ クヮ クヮ クヮ ケケケケ ケケケケ クヮクヮクヮ」。この歌はスイスの教育者ヴェルナー・チンメルマン博士が玉川学園に半年ほど滞在した折りに、岡本敏明に教えた歌が基となっている。その歌に岡本が日本の子供のために作詞をしたものが、「かえるの合唱」として知られるようになった。

8.子供たちと家庭と教師を繋ぐコンピュータネットワーク「CHaT Net」

玉川学園では、3年生(小学部)から12年生(高等部3年生)の児童・生徒たち(Children)と、幼稚部から12年生までの家庭(Homes)と教師(Teachers)の三者を結ぶ学内コンピュータネットワーク「CHaT Net」を構築し運用している。「CHaT Net」には、学校から家庭への諸連絡や学校生活の様子、各教科の学習状況、海外研修での活動の様子等が掲載されている。

9.国際規模の私立学校連盟「ラウンドスクエア」へ加盟

国際規模(42カ国168校)の私立学校連盟「ラウンドスクエア」では年に1回、世界各国からおよそ170校1,000名の高校生が参加して国際会議を開催している。玉川学園では日本唯一の加盟校として、高校1~3年生の代表者を派遣。生徒たちは、環境や国際的な問題をテーマにしたディスカッション・研究発表、ボランティア活動などを通して、国際社会を舞台に活躍する能力を身に付けている。また、中学3年生のジュニア国際会議にも生徒を派遣。玉川学園は2005年に日本で初めての正式なメンバー校として認定された。

10.同時にIB、SSH、SGHの認定校・指定校としては唯一の学校

IBワールドスクール(MYP・DP)認定校、スーパーサイエンスハイスクール(SSH)指定校、スーパーグローバルハイスクール(SGH)指定校となっている玉川学園。一つの学校で同時にこの3つの認定校・指定校になっているのは玉川学園中学部・高等部だけである。

IB(International Baccalaureate)

スイスに本部を置く国際バカロレア機構(IBO)が、世界を舞台に活躍できる人材 育成を目標に、世界各国で通用する高水準の教育カリキュラム実施校を認定している。玉川学園は2009年3月、正式に認定校となり、国際バカロレア(IB)クラスでMYP(Middle Years Programme)とDP(Diploma Programme)を実施して いる。

Super Science High School(SSH)

スーパーサイエンスハイスクール(SSH)とは、将来の国際的な科学技術系人材を育成することを目指し、理数教育に重点を置いた研究開発の拠点として、文部科学省が指定を行うものである。玉川学園では2008年にその指定を受け、理科教育の実践とカリキュラムの研究開発に5年間取り組んだ。そして2013年2期目の指定(2013年~2017年の5年間)を受けた。

Super Global High School(SGH)

スーパーグローバルハイスクール(SGH)は、将来、国際的に活躍できるグローバル・リーダーの育成を図ることを目的に、国内の高等学校や中高一貫教育校の中から国が指定する。指定を受けた112校は、生徒の社会課題に対する関心と深い教養、コミュニケーション能力、問題解決力などの国際的素養を育成するために先駆的な教育課程を研究開発する。玉川学園はSGH指定初年度の2014年に指定を受けた。指定期間は5年間。

11.国際的認証評価機関CIS、一条校として唯一のメンバー校

CIS(The Council of International Schools)は世界各地の初等・中等学校728校および大学555校をメンバーとして、国際教育の向上と発展を支援する非営利団体である。メンバー相互の協力のもと、学校をはじめとする種々の教育機関・個人に専門的な支援を行うことで国際教育を推進している。世界のさまざまな地域がもつ考えや文化、教育を連携させた質の高い国際教育を通じ、グローバルな視野をもつ世界市民の育成に寄与している。玉川学園は2014年12月にメンバー校として認定された。

参考文献

  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年
  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園50年史(写真編)』 玉川学園 1980年
  • 小原國芳著『小原國芳自伝 夢みる人(2)』 玉川大学出版部 1963年
  • 小原國芳編『教育日本』第84号 玉川学園出版部 1938年
  • 学校法人玉川学園編『玉川学園創立80周年記念誌』 玉川学園 2010年
  • 『玉川大学 玉川学園 2016』(総合パンフレット) 玉川大学・玉川学園 2016年

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