山口先生Vol.3:物と人との関係(1)

2016.07.01

 ぬいぐるみや人形、そして子どもたちが普段使用している鉛筆や消しゴム、ゲーム機や洋服、さらには石油やガスといった天然資源など、いわゆる「物」が「物体」としてとらえられるようになったのは近代以降であると言われています。このようなとらえかたは、まず西欧において定着し、その後世界中に広がっていきました。科学・技術の急速な発展とグローバル化の進展によって、「物」を「物体」としてとらえようとする傾向は、今日ますます強くなっているように思われます。「物」が「物体」としてとらえられることによって、「物」は当然のごとく、人間にとって単なる道具であり、活動のための手段としてとらえられるようになりました。たとえば、鉛筆は文字を書くための「道具」であり、石油は生活を豊かにするための「手段」として利用されます。このようなとらえかたをすれば、ぬいぐるみも「癒し」や「憩い」のための「道具」であり「手段」であると言うことができるでしょう。ここでは、「物」と人が、理知的な観点において関係づけられます。
 確かに、このようなとらえかたによって、科学・技術は大きく発展することができました。しかしながら、私たちは、「物」を単なる「物体」としてとらえる、このようなとらえかたに心から満足することができるのでしょうか。我が国には、「仏作って魂入れず」ということわざがあります。このことわざは、たとえ仏像を作ったとしても、作った人間が魂を入れなければ、それは仏像ではなく、材料である木や石という「物体」に過ぎないということを現わしています。ここに、「物」を単なる「物体」としてとらえるのとは別のとらえかたが存在することが示されます。