松本修先生シンポジウム「新しい実践学としての国語教育学を探る」を振り返る

2022.11.10

はじめに

2022年10月15日に千葉大学を開催校として3年ぶりに対面で実施された第143回全国大学国語教育学会千葉大会のシンポジウムは、「新しい実践学としての国語教育学を探る―教職大学院における国語教育研究のあり方―」というタイトルで実施された。コーディネーターは京都教育大学の植山俊宏である。植山の問題意識は、多くの大学で、教育学研究科修士課程から教職大学院への移行が進んできた中で、修士論文の作成をゴールとしてきた指導態勢から教職大学院の修了論文への変化によって、学術的な意味合いが変わり、そこでの院生指導において「新しい実践学」としての国語教育学を探る必要があるというものであった。

この視点から、選ばれた3人のシンポジストが以下の通りである。

  • 教職大学院における国語教育研究(上越教育大学教職大学院 佐藤多佳子)
  • 国語科教員の教員研修と資質能力の向上に向けて(京都府総合教育センター 針尾有章子)
  • 国語科教師のキャリア形成に関わる国語教育学研究のあり方(植草学園大学 横田経一郞)

このシンポジウムの計画を聞いた時に、もっともまともな方向性を出せるのは、佐藤であろうとは感じていたし、植山の問題意識そのものが「ずれて」いる感じがしていた。結果的にはそのことが明らかにあったわけだが、そうした流れになった理由も推測できないことはない。ここでは、そういった事情も含めて私的な「振り返り」をしておきたい。

問題の背景

教職大学院は発足15年目となる専門職大学院の一つとなる仕組みであるが、当初は二十数校の開設で、その後文科省が修士課程からの移行をかなり強引に進めたことによって、57校まで拡充するに至っている。背景には、教育学部や教職課程における教員養成がうまくいっていないとたびたび指摘されてきたことがある。兵庫・鳴門・上越の新構想大学の設置も、そうした問題を解決するための手段であったが、そうした試みも失敗であったとされた。最大の問題は、教科内容の単位を教える教員が理学部や文学部などの出身者で、教員養成への理解も共感もないままに、教科内容の講義内容を自分の専門をそのまま教えるようなものにしていたことである。数としては教育学や教科教育学の教員よりも多いため、教育学部の運営は教員養成に真正面から向き合わないものとなりがちだったわけである。教職大学院の設置は、そうした教育学部、教員養成のあり方を変える時限装置として仕組まれた趣がある。

当初から教職大学院設置準備、教員養成評価機構(5年ごとの認証評価を行う機関)の設置準備に関わってきた私には、その意図には賛同する点も多かったが、動きとしては強引過ぎること、今も言われているが、教員養成のための大学教員を養成する機関が基本的になかったことなど問題点はあった。時間がたつにつれ、教職大学院をあとから設置した大学、設置されていてもノータッチできた大学教員が、教職大学院に組み込まれることによって、おくればせながら今回のシンポジウムのような問題意識が生まれてきたわけである。(大学教員養成は、教職大学院修了者のためのEd.Dコースを開設するのが望ましいが、行政の動きは遅れている。)

「実践学」としての国語教育学?

呼び出された3人の経歴が、「実践学」に対する理解の混乱を示しているので、3人の経歴を簡単に示しておく。

佐藤多佳子は、新潟県の小学校教員から上越教育大学教職大学院の一期生として派遣された。国語教育を学びたいということで、松本をアドバイザーとして、研究室に所属した。当時は修士課程学習臨床コースと並行だったので、院生室には両方の院生が混在する状況であった。2年の派遣の後、続いて兵庫教育大学の連合博士後期課程に入学し、仕事をしながら3年で学位を取得、同時に松本の後任として上越教育大学教職大学院に准教授として着任、現在教授である。すでに現職20名、学卒47名の指導にあたり、2名の大学教員を出している。

針生有章子は、京都府の教員で2015年から京都教育大学と連携した研修を運営し、その成果について考察を加え、学会発表などを行い、最終的にはおそらく最後の修士課程の院生として2020年に教員研修についての修士論文をまとめている。教員の養成・採用・研修の一体化を事業として関わりながら、研究を進めてきた。

横田経一郞は、千葉大学教育学部時代の実習指導の先生を通して野口芳宏と出会い、法則化運動に加わった。一度長期研修生として千葉大学で国語教育を学び、日本国語教育学会での活動を行いつつ、長い行政職・管理職を経て、やはり最後の修士課程学生として修士論文をまとめ、定年退職後に植草学園大学教授に就任している。

いずれも教職大学院の教員の枠組み(実務家教員・研究者教員)では、実務家ということになるが、教員をしながらの学びの過程はずいぶん違う。横田が話の中で、研修生や院生としての学びはunlearn(学習棄却・学びほぐし)だと言っていたのが印象的で、大学院の学びと教員の立場での学びが対立的に存在していることを示している。針尾は、あらたに研修を大学との連携に位置付けた中で学びを進めており、新しいタイプの学びであるが、最終的には修士課程で修士論文を書くという選択をしている。佐藤は、若手教員時代から中越国語教育研究会に属して実践研究を行っており、この会は日本国語教育学会とも密接な関係を持っていた。実践研究としては最初から最も教科教育学のアカデミックに近い位置にいた。

質問に立った東京学芸大学の渡辺貴裕が、佐藤さんの発表が最も共感できるとしていたように、今更なぜ修士課程での指導に後ろ髪を引かれるのか、理解できないというのが私の立場である。

そもそも、佐藤以外の二人が修士課程に籍を置き、修士論文をまとめたのは、そうした勧誘があったからで、むしろ学会論文や研究的な著書を世に問うという方法もある。もちろん研究にはきちんとした指導者が必要であるが、それは研究者の実践家への寄り添いのあり方でどうにでもなる。修士課程に籍を置かせないと「商売」にはならないからという問題もあるが、長い修士論文を書くより、学会論文レベルの短い物をいくつもまとめる方が研究的な資質はより磨かれるであろう。そうした「研究」の結果として佐藤の博士学位論文はまとめられている。

言いたいのは、国語教育学はことの始めから「実践学」なのであって、教職大学院化によって外からもたらされる「変化」などではあり得ないということである。

理論と実践の融合の内実

佐藤は、令和元年度修了の武田純弥さんを事例としてその歩みを紹介していた。プロフィールは次のように紹介されている。

私立大学文学部卒。中学校・高等学校国語1種免許所有で本学に入学、本学で小学校免許を取得。
入学前の早い時期から教職大学院への進学を決めていた。 M1で中学校の教員採用試験に合格、M2で小学校の教員採用試験に合格。現在小学校教員。

インタビューによるライフヒストリーの概要は以下のようなものである。

院生時代からの学びの過程は次のようになっている。

4年間の学術的成果として、9本の論文・著作があり、いくつもの実践的発表がある。上越教育大学教職大学院の学びが修了後も継続されている。そこには、佐藤研究室の学校支援プロジェクトがかかわることによって継続的なサポートがあるという事情も作用しているが、要するに研究者が損得関係なく、教員の成長を支えることが大切なのである。佐藤は、事例からの考察として以下のようにまとめている。

  • 授業がデザインできることと、授業ができることは違う。教師教育は両面。
  • 子どもの読みから理論が実感的になっていくという、実践↔理論で学ぶことで理論 の「汎用性」を高めることができる。
  • 「汎用性」=実践をデザインする力、学習者の状況を判断して対応する力
  • 単なる方法や技能ではない自分自身の「授業観」を創る。
  • 「理論ベースで実践を考え実践ベースで理論を育てる」は理想であるが、「理論を育てる」までは行き着いていない。

「理論を育てる」までは行き着いていないとしているが、武田の論文は既に学会レベルとなっており、オリジナルの理論までは行き着いていないという意味であろう。そこは個人の能力や目的意識にもよるが、博士課程に籍を置く段階に行けば否応なくオリジナル理論を形成することになるし、そうしなくても継続的な実践研究の中でそこに到達するということはある。大学が積極的に実務家を採用するようになってきており、私自身が指導した学生の中からも、博士の学位取得以前に大学教員となったものは、6名ほどいる。研究を支え続ければいいのである。

国語教育研究とは

佐藤は次の4点を、国語教育研究が実践ともともと不可分であったことを示す結論として述べている。

  • 国語教育研究は、真正な学習環境における教育実践を対象とする
  • 国語教育研究では、教育現場で求められていることが「問い」に設定される
  • 実践的な国語教育研究においては、高い新規性より、信頼性(ロジック・方法の丁 寧さ、学習者の事実)と汎用性が重視される
  • 国語教育研究はサイエンスでなくヒューマニティー(人文学)である

もともと「全国大学国語教育学会」は、戦後教員養成が師範学校から4年制大学の教育学部やその他の教職課程に移行し、教員養成の開放性原則の下、教科教育学が領域として独立した時(ポストが出来た時)に成立した。教科教育学の形が見えないまま、担当した日本語学や文学の研究者が、そのカリキュラムを考えるためのシラバス交換会として始まっている。専門の国語教育研究者がいない中で始まったこの国語教育学の姿を探ていこうとしていたその先は、妙な実証性や勝手な理論化で疑似科学として実践から身を引こうとするようなことではなかったはずである。教職大学院化の現状が問いかけているのは、実践学として出発したはずの国語教育学・国語教育研究の本来の姿に戻ることである。