竹田先生Vol.1:教師が授業でよく使う言葉の心裏「時間をあげる」

2015.10.14

かつて担任をしていた5年生の子どもが書いてきた次のような日記が、無意識のうちに授業でよく使っていた自分の言葉について振り返るきっかけになりました。
「先生は授業中によく『時間をあげる』と言います。なんだか変です。時間はあげられないと思います。」
この子は、授業中グループで話し合いをさせるときやノート作業の時間を取るときなど、私がよく口にする「今から○分ほど時間をあげるからね。」という言葉に疑問を感じていたのでした。この日記を読んで以来、「時間をあげる」という言葉を使えなくなってしまいました。それは、「あげる」という言葉そのもののことではなく(子どもに謙譲の意を伴う語はおかしいといった使い方のことではなく)、「時間をあげる」と無意識に繰り返し使っていたことの背後に隠されていた自分の思いに気づきハッとさせられたからです。実は、そのような言い方が自分の授業観に深く関わっていたことを図らずも子どもの日記によって教えられたように思います。
初任の頃の私は、1時間の授業をちゃんとしたいという気持ちばかりが先行して、子どもの様子をしっかり受け止め、子どもと共に感じるという余裕がありませんでした。ですから1時間の授業をどのように進めるかということだけに気を取られて、子どもの状況によって臨機応変に授業の展開を変えるなど思いもよらぬことでした。「時間をあげる」という言葉には、授業の進行は教師の都合で決めることであり、その主導権はあくまでも教師にあるという意識が隠されていました。子どもがどんな気持ちで、どのように学んでいるか、子どもの学びの姿に目を向けることができていなかったのです。