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全人教育の誕生

全人教育提唱100周年記念サイト
「真善美聖健富」の書

現在では広く知られるようになった「全人教育」であるが、それを初めて公に語ったのは小原國芳であった。國芳は、34歳のときの1921年、東京高等師範学校(現在の筑波大学)の大講堂で行われた「八大教育主張講演会」(大日本学術協会主催)の講演で、教育には人間文化の全部を盛り込まなければならないと説き、教育の理想を「真」「善」「美」「聖」「健」「富」の6つの価値を調和的に創造することにあると位置付けた。

八大教育主張講演会で講演を行ったのは國芳をはじめとした教育改革に深い関心を持つ人たちだった。その多くは、教育現場の陣頭に立ち、理論上・実践上の苦闘を経験した教員や師範学校教員であった。8人のうち、4人が30代、3人が40代であったことからもわかるように、壇上に立ったのはいわゆる「第一線で活躍する若き教育者」であり、教育学者は一人もいなかった。八大教育主張は、教育界における大正デモクラシーが花開いた瞬間であった。

八大教育主張講演会

この講演会では、1.自学教育論(樋口長市)、2.自動教育論(河野清丸)、3.自由教育論(手塚岸衛)、4.一切衝動皆満足論(千葉命吉)、5.創造教育論(稲毛金七)、6.動的教育論(及川平治)、7.文芸教育論(片上伸)、8.全人教育論(小原國芳)といった、8つの教育主張が展開された。明治時代までの教育は、教師が中心となり、児童に学問を注入し、模倣させることをよしとしてきた。しかし、8人の論者は各自持論を展開、既存の教育に疑問を投げかけた。それぞれの主張には、当時の欧米の新教育思想や教授法の影響が見られるが、従来の教育学者のように翻訳紹介にとどまらず、自分の実践をふまえて自説を打ち出そうという意気込みが感じられた。また、8人の主張には、自由や創造性を尊び、成長の能力を重んじようとする、児童中心主義傾向を持つ点に共通性があった。

成城小学校の修身の授業での小原國芳(中央)
講演録『八大教育主張』

國芳の「全人教育」という言葉が聴衆の前に提示されたのは、このときが初めてであったが、その後、初等・中等教育の現場で、教育理念を語る言葉として広く流布するようになった。講演が行われた翌1922(大正11)年1月に講演録が『八大教育主張』と題して刊行された。この書籍は、従来の教育に飽き足らない向上心あふれる青年教師たちの関心を引き付け、約2年間に10版を重ねるほどの売れ行きとなった。当時の教育界がいかに新しい教育理論を渇望していたかがうかがえる。

この講演会には、夏の暑い盛りにもかかわらず、北は北海道から南は沖縄、さらには台湾や朝鮮、満州、樺太などの各地からも参加者が集まった。講演会当日は主催者側の予想を超えて、会場定員2,000人のところ5,500人にものぼる参加申込者が殺到するほどの盛況ぶりであった。國芳はのちに、当時を振り返り、次のように語っている。

集るもの恐らく四千名を越えたろう。大講堂ミッシリ。廊下もぴっしり。窓も鈴なり。熱狂そのものだった。ホントに湧き立った。考えてみると、八人もえらかったが、大正の教師たちは真剣だった。特に、小学校教師は! みな、身銭を切って、全国から集ったのだった。日本教育の頂上だったろう。上や外からの圧迫もひどかったのに、内から、下からの燃え上がりだった。
    (略)
世界に類例のない崇いものだった。

『八大教育主張:教育の名著』(玉川大学出版部発行)より

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