玉川大学・玉川学園Webサイト
IEサポート終了のお知らせ

玉川大学・玉川学園webサイトTOPページリニューアルに伴い、Microsoft 社の Internet Explorer(以下、IE)のサポートを終了いたしました。本学園が運営するサイトをIEで閲覧した場合正しく表示されない恐れがございます。
皆様にはご不便をおかけしますが、別のブラウザを利用しての閲覧をお願いいたします。

プリマドンナ東敦子の世界展

2000.11.18

会期:2000年11月18日(土)~12月3日(土)
会期中無休
9:00~17:00(入館は閉館の30分前まで)
会場:玉川大学文学部 第3校舎1階 読書室
入館料:無料

読売新聞10月28日号掲載記事
展示風景(11月18日撮影)

「蝶々夫人」 ニューヨーク、
メトロポリタン劇場、1974年

「蝶々夫人」 モスクワ、
ボリショイ国立劇場、1978年

「蝶々夫人」公演ポスター
コペンハーゲン、王立歌劇場、1968年

この展覧会は本学の客員教授で、日本が誇る国際的オペラ歌手であった東敦子(1936-99年)の関係資料を紹介するものです。彼女は1959年に東京芸術大学声楽家を卒業、1961年の同専攻科を修了しました。その後イタリアのパルマ音楽院へ留学し、首席で卒業しています。1962年のアキレ・ペーリ国際音楽コンクールや63年のパオロ・ネーリア国際コンクールでは上位入賞をはたし、同年レッジョ・エミリア市立劇場でおこなわれたマスカーニ作「友人フリッツ」でデビューしました。以後ハンブルグ、ウイーン、ベルリン、ドレスデン、メトロポリタンなど海外の著名な歌劇場で精力的に活動を続け、世界的プリマドンナとして知られました。なかでも「蝶々夫人」には20数カ国で500回以上出演し、その歌唱力と表現力で高い評価を受けています。

1980年からは本学をはじめ、東京音楽大学や東京芸術大学で後進の指導にもあたり、1987年に一線を退いた後はリサイタル活動のほか、地域文化の発展に尽力しました。このような活動に対し数々の賞を受けています。主なものには1979年の毎日芸術賞、1984年のジローオペラ大賞、1985年のモービル音楽賞、1991年の日本芸術院賞などがあります。さらに1980年にアキレ・ペーリ国際音楽コンクールで「東敦子賞」が設けられ、また自身でも1987年に「グローバル東敦子賞」を設け、日本オペラ界への支援に尽力しました。

本学では、亡くなられた後に御遺族から彼女に関する資料の寄贈を受けました。この中にはステージ衣装、小道具、楽譜、ポスター、パンフレット、契約者、写真、スクラップ帖など彼女の活動に関する資料やアルバム、書簡、成績表、家具、調度品、授業ノート、書籍、原稿をはじめ、身の回りの品々、古版画、素描など、彼女のコレクションも含まれています。今回の展覧会は、これらの資料の中から東敦子の足跡と愛した世界を展示し、彼女の芸術の原点を探ろうとするものです。

音楽に生きた足跡 後世に-オペラ歌手・東さんの遺品、玉川大博物館へ-
一周忌前に、150点集め展示会

国際的なオペラ歌手で昨年暮れ亡くなった東敦子さんの遺族が楽譜、ステージ衣装、書簡など1000点以上の遺品を玉川大学教育博物館(町田市玉川学園)に寄贈した。同館では「一人の芸術家の足跡を網羅する資料が、散逸することなくそろうのは珍しい」と話しており、一周忌を前に、その中から約150点を集めた展覧会を来月18日から同大文学部第三校舎で開く。

東さんは東京芸術大学音楽部専攻科を修了した後、1961年にイタリアのパルマ音楽院に留学し、首席で卒業した。その後、ニューヨークのメトロポリタン劇場など各国の歌劇場で主演し、中でもプッチーニの「蝶々夫人」は500回以上出演し、「バタフライ・アズマ」とも呼ばれた。

18年間の海外生活に終止符を打ったのは78年。長女の阿里沙さん(31)が玉川学園小学部に編入したため、町田市に居を構え、80年からは玉川大学の客員教授を務めた。

一方、66年に東さんと結婚した彫刻家二田原英二さん(68)は、日本のオペラ歌手の海外進出など不可能と言われていた時代、ヨーロッパを拠点に二人で協力し合ってきた。「妻の活動は、日本の音楽界にとって大きな意味を持つという予感があり、出演に関して劇場と交わした電報から契約書のたぐいまで保存しておいた」と語る。

闘病生活を続けた東さんが昨年12月25日に亡くなる約一年前から、二田原さんは妻の死期が近いことを悟り、阿里沙さんと一緒に資料整理を始めた。

死から二カ月以上たった今年3月11日、遺品の一部披露して故人をしのぶ「お別れ会」を開いたが、膨大な資料の管理に悩んでいた時、教育博物館が寄贈を求めてきた。二田原さんは承諾し、4月、愛用のグランドピアノを除く遺品を寄贈した。

内訳は「ラ・ボエーム」「アイーダ」などの楽譜、舞台で使った小道具、学生時代の講義ノートなど全資料と、身の回りの品々、古典版画などのコレクション類まで。二田原さんは「名声ではなく、音楽を求め続けた彼女の姿勢を、若い人たちが学び取ってくれればうれしい」と話している。

教育博物館の柿崎博孝学芸員は、「彼女は日本人がオペラ歌手として国際舞台で活躍する道を切り開いた。楽譜にはどういう風に歌うかなど彼女自身の書き込みがあり、貴重。資料整理には3年はかかりそうだが、一番有効な活用法を考えていきたい」と語っている。

展示会は12月3日まで。入場無料。問い合わせは教育博物館(電話042・739・8656)へ。

2000年10月28日 「読売新聞」より記事抜粋

展示風景(2000年11月18日)

東敦子さんのご主人二田原英二さんとお嬢さんの阿里沙さん

シェアする