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科学するTAMAGAWA 現代社会に生きる基本スキル養成科目としての科学教育

2013.10.25

玉川学園では技術国家・日本の根源的な力といえる
STEM(Science, Technology, Engineering and Mathematics)の基礎能力育成に取り組んでいます。
さらにそれは理工系分野にとどまらず、玉川大学リベラルアーツ学部における
「科学教育」の研究という側面にも現れています。
今回は、リベラルアーツ学部で科学を学ぶ意義や、科学教育が果たす役割について考えます。

「科学技術リテラシー」というリベラルアーツ

玉川大学リベラルアーツ学部は、多彩な学問分野を横断して幅広く学ぶ“リベラルな教育”を実践しています。具体的にいうと、「言語と教育」「社会と文化」「科学と技術」という3つの領域に7つの専攻分野(メジャー)を用意して、幅広い知識と視野を身につけられるようになっています。

その中でも今回は「科学と技術」に焦点を当て、リベラルアーツ学部で「科学教育」を専門とする勝尾彰仁准教授にお話を聞きました。リベラルアーツ学部で科学 を学ぶことの意味とは何か、「科学教育」とはどのような学問分野なのか、そしてそれは、学生にとってどのような力となるのかを掘り下げます。

リベラルアーツとはサンドウィッチ屋である

リベラルアーツ学部の教育目標を簡単にいうと、構想力・実践力・推進力をもち、教育・公共事業・国際交流などでリーダーシップを発揮できる人材を育てること。つまり、特定の学問分野についてどこまでも深く追究するのではなく、幅広い知識をもち、それを現実の社会に応用できる人を育てているわけです。 勝尾准教授はこれを「サンドウィッチ屋」に例えて、こう説明します。

「サンドウィッチには野菜サンドやツナサンドなどさまざまな種類があ ります。では、究極の野菜サンドって何でしょう。有機栽培で作った最高級の野菜を使ったものでしょうか。究極のツナサンドは、最高級のマグロを使って作れ ばよいのでしょうか。もちろん、これもある意味では究極です。しかし、それが美味しいかどうかは別問題。サンドウィッチとしておいしく食べるためには、サンドするパンの生地は全粒なのか漂白なのか、水分の含有率や、調味料はどのくらいが適当か、更に具材の盛りつけ方法など、さまざまな構成要素の適切な組み 合わせを見出さなければなりません。もちろん、具材となる野菜やマグロの知識も重要ですが、必ずしもそれだけを追求すれば良いわけではないのです」。

このサンドウィッチ屋の技能にあたるものこそ、リベラルアーツだと勝尾准教授。「最高級の野菜を育てる農家や最高級のマグロを捕る漁師は、特定の学問分野を 追究することに似ています。一方、さまざまな知識を組み合わせて美味しいサンドウィッチを作ることは、幅広い知識を実社会に応用するリベラルアーツに通じます。そして、サンドウィッチ職人の技能が1つのプロフェッショナルであるのと同じく、リベラルアーツも社会で求められるプロフェッショナルな力なのです」。

幅広い視野を身につける意義

勝尾准教授は、リベラルアーツにとって科学は欠かすことができない分野だと述べます。「理由の1つは、現在の人間社会が科学技術を下敷きにして成り立っているからです。前述の通り、リベラルアーツが幅広い知識を実社会で応用するものだとすれば、その根底を成す科学技術について無知なままではいられないでしょう。もう1つの理由は、論理性や検証可能性といった科学の方法論がとても重要だからです」。

一例として、福島第一原子力発電所の事故が挙げられるといいます。「あの事故以降、原子力発電所の是非が盛んに取りざたされていますが、社会全体としてそれほど議論が深まっているようには見え ません。科学的な安全性がどうなのかについて一般の人たちの間にそれほど知識が行き渡っているわけではなく、やみくもに反対/賛成が叫ばれているような状 態です。この議論を社会的に先に進めるためには、科学的な知識に基づき、かつ、一般の人たちにもわかるように、問題について論理的に説明して納得してもらう必要があります。もちろんその際には、政治経済システムとの関係も視野に入れなければならないでしょう。そのとき求められるのは、科学を専門に研究する人材ではなく、リベラルアーツ的な幅広い視野を備えた人材であるはずです」と勝尾准教授。そしてこの問題は、勝尾准教授が専門とする「科学教育」へとつながっていき ます。

現代社会をナビゲートする科学教育

科学教育とは、実社会での判断や行動の基準として科学的な知見を活用できるようにする教育のこと。前述の原発の例でいうと、一般の人が議論を先に進 められるように、科学に基づいた指針を作る役目だといえるでしょう。「似たような概念として学校における『理科教育』がありますが、これは考え方が相当違います。というのも、理科教育にはある「フォーマット」に則って効率よく科学的な知識を教えようという側面があります。例えば、『期末テストの点数を上げる』とか、『30年後にノーベル賞受賞者を何人輩出する』といった目的に沿って教育が提供される。達成されるかどうかはともかく、ある程度の答えが想定されています」と勝尾准教授。

一方、科学教育に決まった答えはないといいます。「例えば先の原発の問題にしろ、絶対に反対すべきとか賛成すべき という答えを出すのが科学教育の役目ではありません。そうではなく、一般の人が科学的な方法論で進むためのナビゲーションをするのが科学教育です。いわば 無数にあるルートの中で、どのルートを通ったらいいかの判断基準となる交通標識のような役目だといえるでしょう。それも、『このルートを通りなさい』と先導するのではなく、『最短距離で到達するにはこの道順では不適切です』というように、自主的な判断の指針を提示するのが科学教育です」。

こうした力は、例えば科学博物館の学芸活動などにも求められると勝尾准教授。かくいう勝尾准教授も、科学博物館に勤務していた経歴をもっています。「博物館が 扱うコンテンツ自体には、専門領域の学術的な知識が必要です。しかし、それをどういう形で見せたらいいか、どう社会に発信していくべきかには、別の専門性 が必要となる。その両方の専門性を兼ね備えたのが学芸員であり、そのために必要なのが科学教育なのです。特に最近の科学は細分化が進み、一般の人々にとって理解しにくい抽象性や、社会の実像とすぐには結びつかない分野も増えてきています。そのように実社会と学問のつながりが見通しにくい今こそ、逆に科学教 育が果たす役割は大きなものになっていると思います」。

科学教育はリベラルアーツの根幹

リベラルアーツ学部の学生は、科学のエキスパートをめざして入学してくるわけではありません。したがって、学生に科学教育について教える際にはさまざまな配慮が必要と勝尾准教授は話します。「1回の授業の中で、少なくとも1つは学生の心に引っかかるものを提供したい。そのためには、単に知識を教えるだけではなく、その知識が自分自身や社会とどうつながっているのかを示すことが大切だと思います」。

また、最近の学生の傾向にも考慮が必要とのこと。「何かを教えたとき、それを正確に理解しようとはするのですが、それ以上自発的に学ぼうとしない学 生が多いように感じます。これは学生だけではなく科学博物館でも見られる傾向で、何かの現象を『おもしろい』と感じて自発的に掘り下げる人が少なくなって います。たぶん、これまでの人生の中で何かを掘り下げて考えるという機会が少なかったのでしょう。『テストで良い点をとること』ばかりに価値を置きがちの学校 教育や社会の影響かもしれません。しかし、そういう能力がないわけではなく、例えば自分の好きなゲームなどには自発的に取り組んだ経験を持つ青少年は多い はずです。ですから、学生が『おもしろい』とか『わかってうれしい』と感じるような経験を、授業の中にできるだけ取り入れるよう心がけています」。

また、学生には人の痒痛感を理解できる人間になって欲しいともいいます。「『科学教育』というのは、人を『自発的に納得させる』ことが目的です。いわば『納得の共同生産』が科学教育者の仕事。人の歯がゆさや痛みを理解できなければ、人を納得させることなどできません。これは仮説ですが、近年インター ネットの普及で身体性を欠いた経験が非常に増えたおかげで、この感覚を認識しにくくなっているような気がします。例えば些細なミスや失言からブログが炎上 するなど集中砲火が浴びせられる事例がよく見られますが、これはやはり、ネットに『頭から下の』身体性が欠けており、人のからだの奥底から湧き上がる「心の叫び」が表面的な「記 号」として処理されてしまいがちだからだと考えています。深く考える能力の前提としての、他人の痒痛感の認識力を持つ事は、自分の考えで一つひとつの物事に判断を 下せる人間の基本スキルと言っても言い過ぎではないでしょう」と勝尾准教授。

そしてこれは、科学教育のみならず、あらゆる教育に関わる問題だとも話します。「正しい判断力で物事を推進できるというのは、リベラルアーツのもっとも基本的なリテラシーです。その点では、科学教育はリベラルアーツの根幹を成しているともいえます。今後は、科学教育をさらに発展・成長させる形を探求しながら、リベラル アーツ学部の基本的な「OS」機能として、カリキュラムに組み込めればと考えています。かつて玉川学園創立者の小原國芳は、『人生のもっとも苦しい いやな つらい 損な場面を 真っ先に微笑みを以って担当せよ』といいました。人の痛みを知り、この不透明な現代社会の確かな道標となることをめざす科学教育は、この全人教育の言葉と 深く共鳴する考え方なのだと思います」。

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