50年の時を超えて実現した約束。「玉川ーHarvard Glee Club 音楽交流2017」を開催
1月17日から18日、ハーバード・グリークラブのメンバー58名が来園しました。同クラブは、名門ハーバード大学の男声合唱団で、1858年に創設されたアメリカ最古の大学合唱団としても知られています。入部にはオーディションがありますが、メンバーの中で音楽専攻の学生は数名しかいません。そんな多様で多彩なメンバーで構成されているハーバード・グリークラブは、アメリカ国内外で高い評価を受けています。今回は東アジア・ニューイヤーズ・ツアーの一環での来日ですが、玉川での交流はハーバード・グリークラブにとっても特別な意味がありました。今回の「玉川ーHarvard Glee Club音楽交流2017」のポスターやプログラムには「玉川とハーバード 創立者が紡いだハーモニー」と記されています。これは一体どういうことなのでしょうか。
物語の始まりは、今から約50年前に遡ります。1963年、アメリカから玉川学園へ交換留学生として来日した一人の高校生が、創立者の小原國芳先生と出会ったことがすべての始まりでした。彼の名はウィリアム・リアドン。後にハーバード大学へ進学したリアドン氏は、1967年にグリークラブの一員として再来日を果たします。同クラブは、全国各地で公演しましたが、東京公演は玉川学園主催で厚生年金会館(新宿)にて開催されました。プログラムには、当時の駐日アメリカ大使 アレクシス・ジョンソン大使からのメッセージもあります。公演後、玉川に来園した同メンバー達。学生との交流はもちろん、ホームステイを通して友情と信頼を築きました。
國芳先生の人柄は、メンバー達に送られた手紙にも表れています。メンバーが玉川を去ってすぐに書かれた手紙からは、誠実で律儀な人柄が読み取れます。当時の玉川にコンサートホールがないことを申し訳ないと「次に玉川へいらっしゃる時には、コンサートホールを用意しておきます」と約束されていました。リアドン氏は、その手紙を大切に保存し、グリークラブの現代表に託しました。1967年の公演からちょうど50年が経ち、玉川の丘にも装いを新たにしたUniversity Concert Hall 2016が完成。半世紀の時を経て、約束が実現することとなったのです。
17日の午前は、大学での文化交流プログラムにメンバーは参加しました。この文化交流プログラムで活躍してくれたのがTAMAGOスタッフです。TAMAGOとは、Tamagawa Global Opportunitiesの略称で、玉川で得られるさまざまな国際教育・交流のチャンスや機会を意味します。また、TAMAGOには「グローバル人材のTAMAGO(卵)」として学生が育っていくことの願いも込められています。そんな玉川で得られる国際教育・交流の機会で活躍したい学生達が、任意で登録して構成しているのが国際教育・交流の学生支援員「TAMAGOスタッフ」です。TAMAGOスタッフは、玉川大学国際教育センターの事前指導を受けたうえで、当日に向けて準備をしてきました。当日は、そんなTAMAGOスタッフのエスコートで、ハーバード・グリークラブのメンバー達は、4つのグループに分かれて文化交流プログラムに参加しました。
クラブも活躍しました。筝曲部による咸宜園での琴の演奏と体験ワークショップでは、琴や三味線の音符のない楽譜に興味を示すハーバードの学生達が印象的でした。茶道部は、松下村塾でお点前を披露しながら日本文化を紹介します。書道ワークショップでは、5-8年担当の真下先生の協力で、墨を磨るところから挑戦し、立派な作品がたくさんできました。また、TAMAGOスタッフが企画・準備・運営をしたのがTalk Timeプログラム。1月の行事「成人式」を切り口に、何をもってその社会が「大人/成人」とするのか、ディスカッションするプログラムです。具体的には、TAMAGOスタッフが成人式の歴史や現代の多様化した成人式について紹介した後、選挙権、喫煙、お酒、結婚、運転免許など、年齢制限のあるものを日米で比較しながら、「大人/成人」の線引きがどこでされているのか、同世代の若者としてディスカッションをしました。ランチ・パーティの会場入り口には、フラワーアレンジメント部が桐箪笥の引き出しを額に見立てたアレンジメントで日本の四季を表現しました。このように、午前の部は、様々な学部やクラブの学生達が大いに力を発揮しました。
午後は、いよいよハーバード・グリークラブによる公演が幕を開けます。会場は、芸術学部の学生をはじめ、K-12の児童・生徒および提携校であるブラジルの松柏・大志万の生徒や先生方、保護者、卒業生など予備席を出すほどの大盛況でした。「アッシジの聖フランチェスコの四つの小さな祈り」から始まった公演は、ヨーロッパの宗教曲やアメリカの民謡、スポーツ観戦時に歌うハーバードの学生歌などを、卓越した力強いハーモニーで聴かせてくれます。またボイスパーカッションやアカペラなども織り交ぜ、観客を飽きさせません。コミカルな演技を加えた一曲に観客席がドッと沸くといった場面もありました。そして公演の終盤では、東日本大震災から生まれたチャリティーソング「花は咲く」が披露され、会場は大きな拍手に包まれました。
ハーバード・グリークラブへのお返しとして、玉川大学芸術学部の玉川太鼓&舞踊チームが一糸乱れぬ舞踊「じょんがら」と迫力の玉川太鼓「ちから」を披露。観客席の同クラブのメンバーからも大きな拍手を受けていました。これら演目は、2003年から毎年参加しているアメリカ桜祭り公演の演目です。今年の4月2日には、マサチューセッツ工科大学、ウェルズリー大学といった名門大学で公演します。
幕あいには50年前にグリークラブのメンバーが玉川学園を訪れた時の映像が流されました。自然豊かなキャンパスの屋外で、当時としては珍しいピクニック・パーティ。玉シャツを着て、ハーバードの学生たちと談笑する國芳先生。先人たちが奏でたハーモニーが、50年後の今日もこうして受け継がれているのだと誰もが実感させられる情景でした。まさに「創立者が紡いだハーモニー」です。この日の公演に関わったすべての人たちが、この素晴らしい交流を今後も大切にしていきたいと思ったのではないでしょうか。
公演の後、50年前の先輩たちと同じように、メンバー達は玉川学園の学生・生徒・教職員の家にホームステイをしました。そして、翌18日には、K-12の子供たちとの交流を出発時間のぎりぎりまで満喫しました。
今回の大学での文化交流および音楽交流のサポートで活躍したTAMAGOスタッフたちに感想を聞いてみると、「ハーバードの学生と『大人の定義』について、文化的・法的・経済的な部分から話し合って、いろいろな考え方があることが理解できました」、「書道ワークショップでお手伝いをしましたが、漢字に興味を持つ学生が多かったことが印象的でした」、「ディスカッションなどでも説明の仕方が非常に上手で、驚かされました」、「半年間留学した経験があり、その際に海外の人たちに助けてもらったので何か恩返しがしたいと思ったことが、スタッフに参加したきっかけです。今回はこういう形で公演をサポートできてとても嬉しかったです」と、いろいろな思いをもって参加し、多くの発見をしたようです、ハーバード・グリークラブのメンバーも「日本に来てBestの経験!」「50年前の先輩達が、玉川でどれだけ良い経験をしたのか、そしてなぜ玉川で交流するよう導いてくださったのか、すべてわかった」と、玉川での交流は忘れられないものとなったようです。
このような交流を通して生まれる友情や相互理解が、下記のように國芳先生が50年前の手紙で書かれていた世界平和と各国との親善の土台となっていくのでしょう。
Let us work together through education for the common goal of the world peace and good-will among nations.
世界平和と各国との親善という共通の目的のために、教育を通して共に取り組んでいきましょう。
(1967年7月7日の手紙から抜粋)
エピソード
50年前のコンサートや交流に参加した玉川関係者も駆けつけました。1967年のコンサートで自身が作曲し指揮した高森義文・元玉川大学教授もその一人。50年ぶりの再会を記念して、その楽曲「信濃川の民謡によるコーラル・ファンタジー」の楽譜をハーバード・グリークラブ代表の学生と国際教育センター長に進呈しました。
またその当時のハーバード・グリークラブのコンサートに随行医師を兼ねて参加していたクリーガー氏と玉川学園側から参加していた石橋名誉教授、高森先生が再会を果たし思い出話に花を咲かせていました。
ポスター・パンフレット表紙デザインは芸術学部生が担当
ポスター・パンフレット表紙デザインは、芸術学部の学生が制作しました。デザインについてご紹介いたします。
ハーバード・グリークラブとの音楽交流が実現する意義と喜びを、日米の「合わさり」、「交わり」、「開催地」をキーワードとして折り紙絵をモチーフにしました。中央のリボンは合唱団衣装の蝶ネクタイで、線的表現によって「倍音」を視覚化すると同時に、「創立者が紡いだハーモニー」の言葉を「結ぶ」に託しています。 赤色はハーバード大学のスクールカラーでもあり、開催の喜びを象徴的に表現しています。