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「歴史的な転換期」をどう生きるか。新刊を発表した文学部・岡本教授の講演会が行われました

2017.03.08

12月1日(木)、大学教育棟 2014のアカデミック・スクエアにおいて、文学部の岡本裕一朗教授による講演会「21世紀における哲学の挑戦」が開催されました。哲学や倫理学を専門とする岡本先生は、先日『いま世界の哲学者が考えていること』という新刊を上梓したばかり。今回の講演会のサブタイトルも「今オカモトが考えていること」と題されています。アカデミック・スクエアには学生や同じ文学部の教員だけでなく、経営学部など他学部の教員も数多く集まりました。ここでは岡本先生による講演の概要をお伝えします。

人文主義、人間主義の終焉

先日、『いま世界の哲学者が考えていること』(ダイヤモンド社)という本を出版しました。そこで私が取り上げたのが、世界は歴史的な大転換期を迎えているということです。近年、新たな産業革命を指してインダストリー4.0という言葉をよく耳にします。18世紀後半からの産業革命と比較してのことでもあり、あるいは活版印刷に代わるコミュニケーションメディアの革命という風にも捉えることができます。さらに「ヒトからポストヒューマンへ」というバイオ革命で考えれば、25万年ぶりの大転換期ということに。私たちが生きている今は、そんな時代を迎えているのではないでしょうか。そしてそうした時代に生きているのは、とてもラッキーなことなのかもしれません。今日はそうした想いを共有できるよう、情報提供をしていきたいと思っています。

 

そもそも、今回の新刊を出版する前の2015年に、国立大学で人文学系の学部が廃止されるといった噂が流れました。ただ、こうした流れは世界的な傾向ではあるんです。それではヒューマニティーズ、つまり人文学は終わってしまうのかということが、今回本を書く際に念頭にあったことの一つです。そしてこのヒューマニティーズは多義的なフレーズであり、人文学のみで終わる言葉ではありません。ドイツの哲学者であるペーター・スローターダイクは『人間園の規則』という本の中で、現代はヒューマニティーズの終わりの時代であると主張しています。それは書物を媒介として教養を形成していくという形態での人文主義の終わりを指しており、このことについては後ほどお話ししたいと思います。そしてもう一つ、スローターダイクはヒューマニティーズの終わりとして、DNAの改変としての人間主義の終わりのことも指しているんですね。彼のこうした提起が非常に興味深く、これに基づきながら本を書きたいと思いました。

現在の生物学の分野では、ヒト以外の動物や植物で遺伝子組み換えが実施され、ヒトに関してもゴーサインを待つだけという状況になっています。これまで人類の進化の過程は自然進化によって行われてきましたが、人間が自分自身の進化に介入し、自分の在り方をデザインする時代が近づいているわけです。遺伝子改変は難病の治療や能力増強などを可能にしますが、それは同時に数十万年続いてきたホモサピエンスという種の終わりを意味しているのかもしれません。あるいはヒトの身体に対する介入ということの、最終的な段階を迎えているのではないでしょうか。人文主義、そして人間主義が終焉しつつあるということからも、現代は歴史的な大転換期であると、私は感じています。

人工知能が人類を超える日

2005年、アメリカの発明家レイ・カーツワイルが『シンギュラリティは近い』という本を出版しました。それから10年以上が経った現在、このシンギュラリティという言葉に再び注目が集まっています。シンギュラリティとは「技術的特異点」と訳されることが多いのですが、この本の中ではコンピュータが人間の知能を超えるシンギュラリティ、つまり技術的特異点を、2045年に設定しているんですね。出版された当初はSF映画の話のような受け取られ方をしていましたが、近年の人工知能の急激な発達により、にわかに現実味を帯びてきました。人工知能が囲碁の世界でプロ棋士に勝ったり、投資ファンドでも人間以上の成果を出しているといったことがその一例です。そしてこの人工知能の発達を後押ししたのが、ディープラーニング(深層学習)です。2012年の画像認識コンテストで、ディープラーニングに基づく技術が飛躍的な成績を収めたことから、汎用型AIが現実味を帯びてきました。従来の特化型AIが人の手によって設定され、狭い領域で使用されていたのに対し、汎用型AIはさまざまなデータを集めることで自らの概念を獲得することのできる、まさに会話の中でジョークを返すことのできる、人間のような存在といえます。コンピュータ自体が自分でデータを修正するようになれば、たとえば工場で何かを製造する際も、コンピュータ自ら設計図を描くようになり、エンジニアは不要になるのではないでしょうか。まさに新たな産業革命であり、インダストリー4.0と呼ばれる未来が、もうそこまで来ているのかもしれません。

ヒューマニティーズはどこへ行くのか

そして、ヒューマニティーズはどこへ行くのかについても考えたいと思います。12世紀頃にヨーロッパで誕生した大学は、印刷革命によって一旦死を迎えました。そして現在の大学教育の基礎となるゼミナール形式の研究型大学、フンボルト理念※1という大学の概念が、19世紀にドイツで誕生します。ところがここに来てこのフンボルト理念による大学も、終わりに近づいているのではないかと私は感じています。つまり近世ヨーロッパの印刷革命によって書物が流通したことで知的ネットワークが形成され、大学での知的活動が形骸化した。これが最初の「大学の死」ですね。であるならば、デジタル情報革命が起きた現代も、大学教育が変わる局面を迎えているのでないでしょうか。たとえば、大学教育の多くはネットワーク配信になるといったことも考えられます。先ほど申し上げた汎用型AIが実現すれば、それも大学教育を大きく変えていくことになるかもしれません。

  • 1フンボルト理念・・・ドイツの言語学者であるヴィルヘルム・フォン・フンボルトが、19世紀に大学に関して論じた文書の中で明らかにしたもので、基本的には「研究を通じた教育」を大学の理想とする。その後この理念は、「大学の理想像」として全世界に広まった。

最後に、哲学者フリードリヒ・ニーチェとミシェル・フーコーの言葉を引用したいと思います。フーコーは「言葉と物」という本の中で、ニーチェの「神は死んだ」という言葉に触れています。ニーチェは神を殺したのは人間であると説いているのですが、その神を殺した人間の死ということが、「言葉と物」の底流を為している一つの思想であるわけです。であるならば、私もヒューマニティーズの殺害を企てる者には、やがて死が訪れると申し上げたい。もしヒューマニティーズを有用でないと論じる者がいるならば、そもそも必ず有用であるといえる学問は存在するのでしょうか。18世紀当時、大学教育においては神学部と医学部、法学部が上級学部といわれ、それ以外の学問は下級学部で行われていました。けれども何が有用な学問であるのかは、時代によって変わります。いつの日かその有用性が認められる可能性があるからこそ、どんな学問分野であっても排除すべきではないと、私は思います。

この講演で岡本先生は、世の中で起きていることを引き合いに出しながら、現代社会が、そして私たちがどこへ向かっていくのかを、分かりやすく語ってくれました。参加した学生や教授陣からも活発な質問や意見が飛び交い、岡本先生もその一つひとつに対して丁寧に回答し、この日の講演会は終了しました。「哲学」と聞くと非常に難解で日々の生活とは関係のないものと思われがちですが、私たちが生きていく上での指針であり、あらゆる学問とも深い関わりをもっています。この講義を通して、哲学を紐解き、社会との繋がりを身近に感じる時間となりました。

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