玉川大学 読売新聞社立川支局 共催 連続市民講座第10回「第九シンフォニーのヒミツ~世界平和へのメッセージ」

2018.12.14

2018年4月より玉川大学では、読売新聞社立川支局と共催の連続市民講座「進む大学研究 最先端の現場から」がスタートしました。この公開講座は玉川大学8学部・研究所の先生方が講師を務め、12月まで全11回、それぞれの分野での“最先端”についてわかりやすく講義します。11月24日開催の第10回のテーマは「第九シンフォニーのヒミツ〜世界平和へのメッセージ」。NHK「名曲探偵アマデウス」や「ららら♪クラシック」などの監修も行っている芸術学部の野本由紀夫教授が、年末恒例になっているベートーヴェンの「第九シンフォニー」に隠された意外なヒミツを解き明かしました。

初版の楽譜に印刷された記憶できないほど長い正式名称

2018年は日本で初めて第九が演奏されてからちょうど100年目の記念すべき年になります。玉川大学では毎年12月の音楽祭で第九を演奏していますが、玉川と第九の関わりも大変古く、その歴史は80年以上前にまでさかのぼります。
野本教授は挨拶代わりにご自身が指揮をした昨年の大学音楽祭の第九の映像を紹介。玉川大学の第九には、全学部の1年生全員が合唱に参加し、ソリストも管弦楽団もすべて玉川学園の学生や卒業生で編成されていること、また最新の研究成果を反映させた楽譜を用いていることなどを紹介しました。

野本教授は、プロのオーケストラ指揮者でもあり、世界初演や歴史に埋もれた作品の掘り起こしにも力を入れています。日本では第九という呼び名で親しまれている「交響曲第9番 ニ短調 作品125〈合唱付〉」ですが、「初版の楽譜のタイトルページには〈シラーの頌歌『歓喜に寄せて』による終結合唱をともなう、大オーケストラ、4人の独唱者、4声の混声合唱のための、ベートーヴェンによってもっとも深い畏敬の念をもってプロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世陛下に献呈され、作曲された交響曲、作品125〉とドイツ語で記されています。これが第九の正式名称です」と野本教授は話します。

第九が生まれた当時、ドイツは分裂国家でした。プロイセンはその中でも最大の国であり、初版の楽譜に印刷されたタイトルには「国王が献呈を受けるほどすごい曲であることを宣伝する目的があった」というヒミツをまずは紹介されました。
ベートーヴェン自筆の楽譜は2001年に世界記憶遺産となりましたが、その自筆譜は驚くほど汚く専門の印刷屋でなければ読めなかったことや、思いを寄せる人に送ったラブレターもあまりにも悪筆であったためふられてしまったという逸話なども紹介し、補助席が出るほど埋めつくされた会場を笑わせていました。エピソードで来場者の心をつかんだ野本教授は、続いて第九の音楽的な部分に話を広げていきます。

第4楽章の声楽は、シンフォニーとしては反則

第九といえば第4楽章ですが、「そもそもシンフォニーとは管弦楽のためのソナタ、楽器のための音楽であり、そこに歌が入るのは反則。その意味で第九はおかしな交響曲なんです。ベートーヴェンも悩んだはずです」と野本教授は語ります。プロの楽団による第九の演奏映像を鑑賞したあと、野本教授は持参したキーボードで第1楽章から第4楽章のはじまりのメロディーを自ら奏でながら、第九の音楽的なヒミツに迫ります。
「第1楽章から第3楽章までは、主題の開始の音がすべてドレミファソラシドの〈レ→ラ〉になっています。ところが、第4楽章だけは〈レ→ラ〉ではじまりません。ですが、ベートーヴェンの最初の計画では第4楽章も〈レ→ラ〉ではじまっていたのです。それを取り替えて、違う曲をドッキングしたのが、現在の第九です」

野本教授は第4楽章になるはずだった〈レ→ラ〉ではじまるメロディーを演奏してみせ、「これが第4楽章になっていたら崇高な音楽にはなったかもしれないが、深刻な感じがあるので、日本に限っていえば年末の風物詩になるようなシンフォニーにはならなかったのではないか」と話します。
さらに野本教授は、第3楽章までの約45分の演奏のあとにいきなり歌が始まるのはおかしいので、第4楽章では「計画変更」のレチタティーヴォ(話すような独唱)で言い訳をしてから、少しずつオーケストラ全体に喜びの輪を広げて、歓喜の歌へとつながるようにつくられていると解説。自らキーボードを演奏して、第4楽章が「喜び主題」と「口づけ主題」という2つの主題メロディーを組み合わせていることも実演してくれました。

計画変更のヒミツは、若き日に体験したフランス革命

「1789年から1799年のフランス革命以前の作曲家はカツラ、革命以後の作曲家は地毛が特徴です。ベートーヴェンは1770年に生まれ、フランス革命がはじまったときは18歳でした。第九の本格的な作曲は1822年から1824年。フランス革命以後に活躍した作曲家ですから、肖像画からもわかるように当然頭はボサボサの地毛です」と、時折ユーモアを交えながらの名曲解剖講座は、音楽史的な話へとさらに広がっていきました。

革命以前の作曲家は職人。宮廷などから給料をもらって作曲していました。革命以後の作曲家は芸術家。自分の作品を売ることで収入を得ていたのです。ベートーヴェンはウィーンに出てきてからは自立した芸術家であり、若き日に体験したフランス革命の精神に大きな影響を受けていました。
第4楽章では、ドイツ古典文学の巨匠の一人であるシラーの歌詞を解釈し直して用いていますが、そこで繰り返し表現されているのは、まさにベートーヴェン自身が熱狂したフランス革命の「自由・平等・博愛」の精神です。
しかし、フランス革命を象徴する精神は、のちに自由主義と社会主義、資本主義と計画経済などに分裂します。20世紀において長く東西冷戦の時代が続くことになるのですが、そのシンボルでもあった「ベルリンの壁」が1989年に崩壊しました。分裂していたドイツが再び統合され、その年のクリスマスに記念のコンサートがバーンスタイン指揮のもと、東西混合のオーケストラと合唱団に少年少女合唱団も加わって開催されました。そのとき、東西ドイツ統合にふさわしい曲として演奏されたのが、ベートーヴェンの第九でした。
野本教授は、ドイツ留学時代の体験談を交えながら、ドイツが生んだ偉大な作曲家であるベートーヴェンの第九は、現在のドイツの人々にとっても、特別な曲であると話します。
そして最後に、第4楽章の「歓喜の歌」の中に、Alle Menschen werden Brüder(アーレ・メンシェン・ヴェルデン・ブリューダー)———「人類みな兄弟」という世界平和へのメッセージが含まれていることが、日本で、ドイツで、そして世界で広く歌われ続けている理由であり、そこに第九の大きな意義があると締めくくりました。なお、今年の大学音楽祭(12月18日、パシフィコ横浜国立大ホール)も、野本教授が指揮されます。