お互いの個性を認め合える環境で学ぶことの大切さ。俳優の藤田朋子さんをお招きしてK-12父母教養講座が開催されました。

2019.11.01

玉川学園K-12父母会では毎年、学内外の先生方をお迎えし、子育てや教育について保護者向け講座「K-12父母教養講座」を企画・開催しています。
10月18日(金)に開催された父母教養講座では、本学の卒業生で俳優として活躍する藤田朋子さんをお迎えし、「玉川学園と私 ~玉川っ子です、と胸を張れる私」と題して行われました。

玉川学園の卒業生というと、まず藤田さんのことを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。藤田さんはメディアなどを通じ母校について話してくださることが多く、また現在でも学園行事に積極的にご参加いただいています。

そんな母校愛に満ちた藤田さん。この日も満面の笑顔で会場となった中学年講堂に登場しました。「私は高等部から玉川で学ぶようになりました」と、ご自身と玉川の関わりを話し始めます。「学園見学の際先生から『きっと一カ月もすれば、内部生と馴染めるようになるよ』と言われたことで、玉川で学びたいという想いがさらに強くなりました。実際に一カ月もせずに皆と打ち解けたと思います」。

そんな藤田さんの学園生活で、大きなウェイトを占めていたのがクラブ活動でした。「当初は演劇部に入るつもりでしたが、英語劇部の存在を知ったのです。もともと英語も好きでしたし、好きな英語での演劇に魅力を感じ、すぐに入部を決めました」。

入部後は、早朝練習に始まり昼休みも放課後もクラブ活動中心の日々を過ごした藤田さん。こうした経験が、芸能界を目指すきっかけにもつながったそうです。「学生時代にミュージカルのオーディションを受けた際にも、高等部時代に一緒に英語劇部に所属していた友人が薦めてくれた曲を歌ったんです。それが『レ・ミゼラブル』で初舞台を踏むことにつながりました」。その後はNHK連続テレビ小説『ノンちゃんの夢』やTBSのドラマ『渡る世間は鬼ばかり』シリーズなどに出演。活躍の舞台はドラマやミュージカル、さらには映画やライブ活動と、どんどん広がっていきました。
「また、玉川学園が私に教えてくれたものとして、個性の大切さや、人と同じでなくても構わないといった考え方があります」と藤田さん。「私は子どもの頃から視力が弱く、眼鏡をかけていました。そのことで小学校などではからかわれたりもしたのですが、玉川ではそんなことはありませんでした。お互いの違いを認め合う環境がありましたし、何より皆が個性を主張していましたね。むしろそうした環境の中で、自分自身の個性が埋没してしまったような、不安な気持ちを覚えたほどです。社会に出れば自己主張のできない窮屈な場面にも遭遇しますが、玉川での学園生活があったからこそ、どんなときでも自分らしく過ごせているのだと思います」。そう語る藤田さんは、卒業して30年以上経った現在でも、同級生と会うことが多いそうです。また仕事などで知り合った人が玉川学園卒業生だと知ると、一気に打ち解けるのだとか。まさにこの日の講演タイトル通りの「玉川っ子」であり、そのことに誇りを持っておられるのです。

お話の途中でも「そういえばこんなこともありました」と、さまざまなエピソードが湧き出てくる藤田さん。保護者の皆さんも当時と今の学園生活の違いに驚かされたり、今も変わらない「玉川あるある」で会場全体に笑い声があふれたり。そして、あっという間に終了の時間となりました。

講演会の終盤、進行を担当する保護者の方との会話の中で、「社会に出ると、仕事で関わる人と学生時代の思い出を語り合うといった機会があります。中には有名大学出身の人も少なくありませんが、創立者が掲げた教育理念について語れるのは玉川の卒業生くらいです」という保護者の方のお話に、大きく頷いていた藤田さん。講演の中でも玉川のモットーである「人生の最も苦しい、いやな、辛い、損な場面を、真先に微笑をもって担当せよ」を思い返しながら、「玉川の丘の風景もどんどん変わっていますが、精神は変わっていないですよね。私も、モットーに謳われるような人でありたいと、常に思っています。そして後輩たちに『私も藤田朋子さんと同じ学校の出身なんです』と胸を張って言ってもらえるように、これからも頑張りたいと思います」と語ってくださいました。

長い人生で考えれば、学生時代の数年間はあっという間の出来事です。けれども社会に出る前に多くの仲間と切磋琢磨した経験やたくさんの思い出は、その後の人生の糧となる、大切な財産でもあります。楽しそうに当時の様子を語る藤田さんの姿。それを見るだけでも、玉川学園で充実した時代を過ごせたことが保護者の方々にも理解いただけたのではないでしょうか。