玉川大学・玉川学園Webサイト
IEサポート終了のお知らせ

玉川大学・玉川学園webサイトTOPページリニューアルに伴い、Microsoft 社の Internet Explorer(以下、IE)のサポートを終了いたしました。本学園が運営するサイトをIEで閲覧した場合正しく表示されない恐れがございます。
皆様にはご不便をおかけしますが、別のブラウザを利用しての閲覧をお願いいたします。

学園創立者の愛弟子である米山弘先生をお招きして小原國芳「師道」提唱50周年記念講演会「小原國芳先生、私の時代の先生」開催

2024.01.25

1973年8月6~14日までの間、東京・帝国ホテルを会場に国際的な研究団体である世界教育連盟(WEF)が主催する「世界新教育会議東京大会」が開催されました。玉川学園創立者小原國芳は、この会議における日本会長の立場でわが国初開催のWEF主催の国際会議を成功に導きました。会議のテーマは「新時代をひらく教育-教師は何をなしうるか」というもので、世界中から集まった教育関係者による研究討議、講演、学校見学、文化施設の訪問などを通じて、相互理解を深めながら新しい教育のあり方を追究していきました。

創立者は会議のテーマに即した講演を行い、そこで初めて「師道」という考え方を提唱しました。単なるスキルやテクニックだけではなく、「人」としてどのように教育と向き合うかという教師観、そして玉川学園における全人教育、宗教教育、労作教育の実践が語られ、教師は「永遠の創造者」というメッセージが各国の聴衆に深い感銘を与えました。

「師道」講演中の小原國芳

2023年は「師道」提唱からちょうど50年の節目にあたります。そこで年末の12月9日)、玉川大学University Concert Hall 2016において、小原國芳「師道」提唱50周年記念講演会「小原國芳先生、私の時代の先生」(全人教育研究センター主催)が開催されました。11月の「コスモス祭2023」においても「師道」50周年を記念したパネル展示企画が催され、この日の会場にもその時のパネルが展示されました。

講演者としてお迎えしたのは、元玉川大学文学部教授で文学部長も務めた米山弘先生です。米山先生は玉川大学在学中より創立者に師事し、卒業後は助手として亡くなるまでの10年間、その活動を近くで支えました。

当日、会場に集まったのは教員を目指す玉川大学教育学部などの学生、米山先生から教えを受けた卒業生などです。米山先生の登壇前には、「コスモス祭2023」の連動企画でも流された「世界新教育会議東京大会」の貴重な映像をバックに、初めて「師道」を提唱した記念すべき小原國芳による半世紀前の講演音声(最新リマスター・約90分)が流されました。

生前の創立者をまったく知らない学生たちは、その熱い息遣いや独特の言い回しなどに興味深そうに耳を傾け、時を超えて「師道」というメッセージを受け取りました。なお、この時の講演記録は玉川大学出版部で編集され、亡くなる直前に書籍『師道』として出版されています。

上映終了後、教育学部長 佐久間裕之教授からの紹介を受けて、いよいよ米山弘先生の登場です。

米山先生はまず「人生の最も苦しい いやな 辛い 損な場面を真っ先きに微笑を以って担当せよ」「神なき知育は知恵ある悪魔をつくることなり」など、今も玉川の丘の各所に石碑などとして設置されている國芳が好んだ言葉のお話から始めました。師への憧れから玉川大学卒業後は國芳も学んだ京都大学大学院へ進学。その間も手紙のやり取りをしており、「帰ってこい!」との要請を受けて玉川大学に奉職。文学部助手、専任講師として國芳が亡くなるまで近くで仕事をしていました。

続いて米山先生は、若き日の國芳が鹿児島師範学校や広島高等師範学校で学びながら、その土地のキリスト教会の人々と親しく交流し、西洋文化への知見と大いなる夢を育んだエピソードを紹介。会場に集まった学生たちへ、若いうちに憧れを持つことの大切さを訴えました。

米山先生ご自身は、1986年から家族とともにドイツ(当時は西ドイツ)・ボン大学に留学。子供たちのドイツでの学校生活やご自身の中古車での通学について楽しそうに振り返りながら、ドイツの大学生がしっかりした理念と共に、おおらかさや自由さも併せもっていたことを紹介されました。

現在玉川大学の大学祭として開催している「コスモス祭」。現在のコスモス祭に対して「盛大ですね」と目を細める米山先生ですが、実はこのイベントの“創設者”。学生時代、國芳の声がけで同好会などの発表の場として立ち上げた「文化祭」が今の「コスモス祭」の源流となるのです。國芳はそれだけ若き日の米山先生を頼もしく感じ、信頼していました。一方の米山先生は「小原國芳先生の偉大さがどこにあるか考え続けた」そうです。
最後に米山先生は「私にとって、ここはほんとうに“楽しい丘”でした」と学生やその他の聴衆に語りかけ、笑顔でステージを下りました。

小原國芳没後46年を経て、創立者の事績や人となりを次世代にしっかり伝えていくために、玉川学園ではこうした機会をできるだけ作っていきたいと考えています。

シェアする