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史料は語る 1

「夢」

小原國芳 書 紙本墨書 掛軸装 時期不詳
縦198.0×横37.0cm

「夢」

玉川学園内各所に、小原國芳揮毫(きごう)の“夕”の部分に一画多い「夢」の字が掲げられている。それには児童生徒学生たちに1つでも多くの「夢」を持って欲しいという小原の願いが込められている。
「私の『夢』は遙かに遠方である。夢を夢みるのは若人の特權である。ああ夢、そは實に靑年の誇りである」(『理想の學校』)と、「夢」について語ったのは1924(大正13)年2月、小原36歳、牛込原町(現在の新宿区牛込)の成城小学校主事の時である。
前年9月に関東大震災に遭うが校舎などの被害はなかった。しかしこれを契機に児童生徒たちのために安心安全の教育環境の地を捜し始めた。経営基盤が弱く、実現が困難だったからこそ大きな「夢」を持てと、自らを奮い立たせたのだろうか。結果、小田急線開通前の現在の成城学園の地を見いだした。
1929(昭和4)年3月、成城高校第1回卒業生へ餞(はなむけ)の書を揮(ふる)ったことを述べている(『學園日記』創刊號)。昭和30年の玉川大学卒業生へは一人ひとりの希望の言葉を色紙や掛軸に書き下ろした。その頃も「夢」の書があったが、一画多かったかは定かではないとのこと。しかし昭和40年の大学卒業生へは一画多い「夢」の文字を揮毫した色紙を贈った。この慣わしは晩年まで続いた。
亡くなる2カ月前、「来し方を思い、行く手を考えると、夢はますますふくらんで腕は鳴ります……同人たちよ、若人たちよ、自分を越えて進んでくれ!」(『教育とわが生涯』)と、小原は最後の「夢」について述べている。

白柳弘幸 学術研究所特別研究員

‘Dream’ with One More Stroke

Kuniyoshi Obara deeply loved the kanji character for dream, written with one stroke more than the original kanji character. He expected Tamagawa students to cherish as many dreams as possible and believed that being a dreamer was a privilege for promising young people. To him, the word dream expressed passion, vision, commitment, and devotion. It is important to note that he did not use it in the context of any materialistic motives or specific goals and objectives to be achieved.

Kazuhito Obara
Managing Director, Vice President, Associate Head of School

『全人』2022年7/8月号(No.873)より

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