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史料は語る 5

「広瀬たんそうけいりんそう ざつえい 示諸生しょせいにしめす よんしゅ」の内 第二首(休道詩)」

小原國芳 筆蹟 紙本墨書 掛軸装 時期不詳
縦127.0×横65.5cm

「広瀬淡窓「桂林荘 雑詠 示諸生 四首」の内 第二首(休道詩)」

うをめよ他郷苦辛多しと どうほうおのずからあい親しむ
さい暁にずればしもゆきの如し 君は川流せんりゅうめ我はたきぎひろわん

上の漢詩は、大分県日田市にある私塾・咸宜園(かんぎえん)の創立者広瀬淡窓が詠んだ「休道の詩」だ。「他郷で学ぶ辛さを言うのはやめよう。一枚の綿入れを共に着る友ができて自然に親しみあえるのだ。君は川の水を汲んでくれ、私は薪を拾ってくる」というような意味だ。咸宜園や淡窓を語る時、必ず引き合いに出される。
咸宜園は松下村塾や適塾と並ぶ近世末期の著名な私塾であった。咸宜園の特色は入門時の「三奪(さんだつ)の法」で、年齢・身分・学歴に関係なく、すべての塾生が学問の前に平等という近代教育に通じる制度だ。「咸宜園いろは歌」に「鋭きも鈍きも ともに捨てがたし 錐(きり)と槌(つち)とに使いわけなば」という歌がある。個性を尊重し、その人にあった教育を求めるというものである。厳しい規則もあったが、師弟が寝食を共にし、共に歌を詠じあった。
小原國芳は咸宜園などの私塾の思想について「勤勞體驗の敎育によつて全人格の敎化が行はれ……深い意味の勞作敎育が中心的に行はれた」(『日本教育史』)と述べた。明治維新から半世紀後、効率重視の画一的教育が国是となった。それに対して成城学園創立者澤柳政太郎は児童の個性・興味などを重んじる自由教育運動をおこし、小原は玉川学園を創立し労作重視の教育に取り組んだ。
小原は個性尊重、労作教育、塾教育などを語る時に「休道の詩」をしばしば引用した。新教育運動の主張が西洋からの借り物ではないことを知らせるためだ。そのために玉川創立後に『玉川塾の教育』を出版し、労作教育に取り組んでいる様子を世に広めた。

白柳弘幸 学術研究所特別研究員

Chinese Poem of ‘Unvoiced Thoughts’

This Chinese poem, composed by Tanso Hirose, is entitled ‘Unvoiced Thoughts’. Hirose sought to convince homesick boarding students that life experience with other boarders would be a great opportunity to improve together through friendly rivalry. In Hirose’s boarding house called Kangien, students respected each other's individuality, and strengthened their bonds through living under the same roof.
After his encounter with Hirose’s Chinese poem and his educational philosophy, Kuniyoshi embraced them in his own educational philosophy and its practice. He often referred to this Chinese poem when asserting the importance of Rosaku (learning by experience) and Juku (‘24-hourly’) education.

Kazuhito Obara
Managing Director, Vice President, Associate Head of School

『全人』2022年12月号(No.877)より

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