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史料は語る 6

「一日不作 一日不食」

小原國芳筆蹟 石碑(黒御影石) 大学教育棟 2014横 1966年2月設置
縦70.0×横100.0cm

「一日不作一日不食」

一日いちじつさざれば一日らわず」と読む。中国唐代中頃の禅僧百丈懐海ひやくじようえかいは80歳の高齢になっても、くわを持ち畑仕事に精を出していた。弟子たちは師の健康を心配し百丈の鍬を隠した。以後、百丈は食事をとらなくなった。その理由を弟子が問うた時に述べた言葉として、世に広まった。
「働かざる者食うべからず」(新約聖書「テサロニケの信徒への手紙二」3章10節)の言葉と似ているが、全く意味は異なる。禅宗では畑仕事などの労働を作務と呼び、修行のひとつとしている。させられるのではなく自らの意志で働き、働くことに喜びや感謝の気持ちを持つことが大切であると説く。
日本近世の武士社会では、汗を流して働くことを卑しむ傾向がみられた。少年國芳は母の手伝いに喜びを見いだし励んだ。労作について「何よりも『勞』の字が好きです。日本では卑しく思つてる『勞』の字を尊いものに ……「作」は作業の作でなくて創作の作にしたいのです」と学園創立後に著した『玉川塾の敎育』で述べている。
小原は最後の入院の直前まで書斎で原稿の執筆をしていた。晩年の小原にとっての労作は、自分の夢や希望を書き残し、後に続く者に知らせることと心得ていたのだろう。身をもって日々励む姿を玉川っ子に示した。作務と労作、言葉は異なるがその精神性には近いものがあるように思う。
西田幾多郎は「一日不作 一日不食」の言葉を座右の銘とし書斎に掛けていた。小原は京都帝国大学時代の恩師宅にて目に留めていたのだろうか。

白栁弘幸 学術研究所特別研究員

One Day Without Work,
One Day Without Food

Hyakujo Ekai, a Zen priest in the period of the Tang Dynasty in China, taught his disciples that labor is a duty as a part of the practice of Zen Buddhism, so it should be done by free will. He also encouraged those who participated in labor to have willingness to work and know joy in working.
Kuniyoshi once recollected the days of helping his mother, mentioning that it was his pleasure. In Tamagawa Juku no Kyoiku, he wrote, “I always loved the kanji character of ro, and it is my earnest wish that this kanji character will be considered precious in the future”.
Rather than laboring as if forced or compelled by duty, obligation, or requirement, Kuniyoshi expected his students to labor voluntarily, and thus, he elieved that free will would serve as an essential component of rosaku education (learning by experience).

Kazuhito Obara
Managing Director, Vice President, Associate Head of School

『全人』2023年1月号(No.878)より

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