史料は語る 9
「地球は私たちの故郷です」
ヴェルナー・チンメルマン 筆蹟
DIE ERDE IST UNSER ALLER HEIMAT
Werner Zimmermann
色紙 ボールペン書き 1949年クリスマス
縦23.7×横27.2cm
スイスの教育者チンメルマン(英語の発音はチンマーマン)博士の初来園は、1930(昭和5)年4月20日。スキーのシュナイダーが帰国して1週間後のことだった。それから約3週間滞在し、児童生徒塾生たちにドイツ語、労作、音楽などを指導した。とりわけ音楽では「蛙の合唱」などの輪唱の楽しさを教えてくれた。博士の帰国後、小原國芳は「吾々の國際心が廣められ深められことが有り難い」(『學園日記』第11号)などと語った。
博士が「地球は私たちの故郷です」と、玉川っ子たちに語ったのは第二次世界大戦後の1949(昭和24)年11月1日。この時の来園については「世界が次第に平和な氣持ちをとりもどしてきたしるしであり、國境がもとのように開かれたからです。地球は私たちの故鄕です……地球上の故鄕は、もう私たちおたがいの心の中に始まつています」(『全人』第9号)などと話した。以後、「地球は私たちの故郷です」の言葉は、小原が国際教育について語る時のキャッチフレーズになった。
『玉川学園の教育』(1955年4月)にて、教育目標の12 番目に「国際教育」の言葉が初めて使われ、創立30周年記念誌『玉川教育』で「玉川教育十二信条」として発表された。そこでは「『地球は私たちの故鄕です』とは心の友チンメルマン博士が玉川に二度目に訪れてくれた時の心からの叫びでした……子供の心を通して、マコトの平和な世界を作り上げたいものです」と説明されている。
本史料は1949年の来園時、博士が寄宿していた玉川学園元購買部長の内野昭一氏より寄贈されたものである。
白柳弘幸 学術研究所特別研究員
“We Belong to the Earth”
On his first visit to Tamagawa on April 20 in 1930, Dr. Zimmermann taught the students German, music, and Rosaku (learning by experience). One memorable thing that he left to us is the song widely known in Japan as Kaeru no Gassho (Chorus of the Frogs). On his second visit to Tamagawa on November 1 in 1949, after the World War II, Dr. Zimmermann left the message: “The world has begun to retrieve its peace, and we must keep in mind that we belong to the Earth. The Earth is where we come from”. Kuniyoshi was deeply impressed by this message, and it became a core component for Tamagawa’s international education. The message is not in support of ideologies such as globalism or cosmopolitanism; it rather expresses the principle of mutual respect and the spirit of cooperation shared by nations.
Kazuhito Obara
Managing Director, Vice President, Associate Head of School
English version finalized in collaboration with
Paul McBride
Director, Center for English as a Lingua Franca (CELF)
『全人』2023年5月号(No.882)より