史料は語る 27
「ゆめの学校」
小原國芳筆
紙 水墨 時期不詳
縦19.5×横23.0cm

1919(大正8)年の正月、小原國芳が母校広島高等師範学校の附属小学校教諭兼訓導(理事)のとき、年賀状に「夢の学校」と題した版画を刷り、1千枚ほど投函した。
40年後の1959(昭和34)年5月号の『全人』誌に、そのときの年賀状について「どなたか、お持ち合わせはないでしょうか。一枚、欲しいです。思い出して、描いてみました」と、記事とともに挿絵を載せた。この時の挿絵は京都帝国大学在学中に下宿していた真如堂近くの、法然院山門などの風景であった。その様子が「たまらなくスキ」で、それを頭におき年賀状に「夢の学校」として版画にしたことを書き綴った。
4年後、この一文が『小原國芳全集』第29巻に収録され、今回紹介する史料「ゆめの学校」の墨絵に差し替えられた。以後本史料は、小原が京都帝国大学在学中に描き、玉川学園として実現したなどと長く広く説明され続けた。本史料は全集収録のころに描かれたものと思われる。60年前のことで、どのような経緯で誤解を招く出版が行われたのかはわからずじまいである。
京都に旅する機会があったら、小原が学究生活を送った真如堂や「たまらなくスキ」だったという法然院を訪問してはどうだろう。小原が過ごしたころから100年をとうに過ぎているが、往時のままに新緑や紅葉の美しい寺院である。都会の喧噪からはなれた自然の豊かな地に学校をつくりたかったという、小原の「ゆめの学校」の原点にふれることができると思う。
白柳弘幸 学術研究所 特別研究員
School of Dreams
On New Yearʼs Day in 1919, Kuniyoshi sent approximately one thousand new yearʼs cards which were woodblock prints he had made, entitled “School of Dreams”.
Forty years later, to find someone who still had the card he sent in 1919, he drew a sumi-e (ink painting) that replicated the original woodblock print. It depicted the landscape of the main gate of Honenin Temple near Shinnyo-do Temple in Kyoto. While living in a boarding house near Shinnyo-do Temple as a student at Kyoto Imperial University, he fell in love with the scenery, and this was his inspiration for the “School of Dreams” print.
Kazuhito Obara
President, Managing Director, Associate Head of School
English version finalized in collaboration with
Paul McBride
Director, Center for English as a Lingua Franca (CELF)
『全人』2025年2月号(No.901)より