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史料は語る 41

「この本がなくなることがあれば」

小原 信手稿
鉛筆 紙
1974(昭和49)年
縦15.5×横21.5㎝

「この本がなくなることがあれば」

1974(昭和49)年5月、同窓会(当時)が礼拝堂で小原國芳の米寿を祝う会を催した。小原の礼拝講話が予定されていたが、医師から禁じられ、急遽、夫人の信(のぶ)が行った。本史料はそのときの原稿である。
信は1895(明治28)年に基督(キリスト)教長老派教会牧師の長女として山口県萩に生まれ明倫小学校、光城女学院(現梅光学院)、東京の女子学院高等科に学んだ。朝鮮平壌(へいじよう)崇義高等女学校勤務後、広島県山中高等女学校(後に広島女子高等師範学校)にて英語を教えていたとき、同じ教会員の小原と出会う。
信との出会いについて小原は「新教育の夢物語に二人は宗教的な喜びと勇気づけを得られました」(『全人教育』第339号) と述べている。単なる夫婦というより共通の信仰に基づいた同志であった。結婚後、新教育を広めるために東奔西走する小原を陰に日向に支えた。
講話は差し押さえを受けた話から始まり、神様から選ばれた使命感のようなものを持ち、小原が宗教と労作を大切にする学校を始めたと話した。さらに「幾年かたって世の中が変わって、この学校から聖書が追放されることがあったら……神様のお話が聞けない学校になってしまったら、この学校は潰れてしまって、どこかに売ってしまって構いません」などと語った。
玉川教育の根幹に宗教を置くことは小原の思いと同じで、学園創立の理念を継承してほしいという強い思いからである。信は深い理解と信仰心で小原を支えていたことを知ることができる言葉である。

白柳弘幸 学術研究所 特別研究員

If This Book Were Ever Lost

Due to a decline in Kuniyoshi’s health, Nobu Obara delivered the May 1974 chapel address on his behalf. As the eldest daughter of the minister of the Presbyterian church in Hagi city, Yamaguchi prefecture, she was also a Protestant. It was during her time as an English teacher in Yamanaka Girls’ High School in Hiroshima prefecture, that Nobu met Kuniyoshi at a local church. Reminiscing about the days with Nobu, Kuniyoshi described her as a colleague who pursued the same ideals of new education.
In the chapel address, Nobu told her students, “If the Bible were to disappear from this school, and if we could no longer hear God’s word, then you may sell this school to someone else.” Religion remains at the heart of Tamagawa’s education.

Kazuhito Obara
President, Vice CEO, Associate Head of School

English version finalized in collaboration with
Paul McBride
Professor, Center for English as a Lingua Franca (CELF)

『全人』2026年9月号(No.918)より

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