故きを温ねて 39
自分の手でつくりませう、作り方を工夫しませう
『全人』1941(昭和16)年7月号に、「玉川學園航空敎育の實際(一)」「模型飛行機の自學案」として、模型飛行機を「自分の手でつくりませう、作り方を工夫しませう、材料は出來るだけ自分の手で用意しませう、作りながら、とぶわけや各部分の役目を考へませう」等の記事が載る。
この頃、日中戦争の進展により国をあげて国防国家を担う教育が進められ、航空教材が各教科で扱われた。「模型飛行機の自學案」では、国民科で「航空發逹の歷史、飛行士の戰争物語」、理数科で「原理、機能の硏究、模型飛行機づくり、とばせ方」、芸能科で「模型飛行機の製作設計、作圖」、體練科で「三半規管の訓練、落下傘降下の訓練」等々、多くの内容が盛り込まれた。
初等部の授業も「空への憧れ」を持たせるべく少国民練成を目的とする教育が行われた。「なにしろ大きいので苦心した所もいろいろあるがやつぱり胴體と車輪と糸をはるのに一番苦心した」「五、六年で大きい飛行機を作りはじめました。はじめはヒゴを作りました。私はヒゴを二、三本作りました。次に糸を糸巻きにまきました」と初等部(当時)男女児童の感想が同年8月号に載る。
児童も教師も模型飛行機製作に試行錯誤しつつ、一所懸命に取り組んでいたと思われる。「模型飛行機の自學案」は模型飛行機を素材に、一つの教材を各科目が横断的総合的に取り上げることで多くの事柄を学ぶことになる、理数科を中心とする総合学習であった。
(文=白柳弘幸 教育博物館)
『全人』2016年11月号(No.810)より