故きを温ねて 41
敎師は水車でなければならないです
「高邁眞摯ナル敎育道ヲ磨キ……更ニ郷土敎育化指導ノ中堅人物ノ養成スル」という現職教員の再教育を行う玉川教育大学開設の記事が1931(昭和6)年11月号の機関誌に載った。
「ホントに敎師は、どうしても、生徒と一緒に遊んで欲しいです……ゼヒ生徒の
中にはいつて貰ひたい。敎師は水車でなければならないです。生徒の中にゼヒ半分はひつて貰ひたい」と述べる小原國芳の『敎師道』が著されたのは、その8年後の1939(昭和14)年9月。
『敎師道』は『小原國芳全集』にも取り上げられているが、あまり知られていな
いように思われる。「敎育立國」「樂天道」「愛し得ざる悲哀」など24章で構成され、教師や教師を志す人たちに対して小原の熱い思いが述べられている。
本書では「敎育こそは『人』である」「敎育の根本は愛」の言葉が繰り返されている。軍国主義が台頭し全体主義が跋扈(ばっこ)しつつある中、軟弱との誹そしりを受けかねない文章をよくぞ書き綴ったものである。1年半で14版を重ねていることから、世に広く受け入れられたのだと思われる。戦意高揚を促す叙述が多々みられるが、「日米戰ふべからず」を説いた小原の本意ではなく、カムフラージュのためであったろうと想像する。
本学では創立年から労作教育研究会、終戦の年にも教育研究会を開催するなど、教師教育に力を注いできた。「教員養成の玉川」は80年を超える歴史を重ねているのである。
(文=白柳弘幸 教育博物館)
『全人』2017年1月号(No.812)より