故きを温ねて 47
広く世界を知ったホンモノの日本人を目ざしての全人教育
1929(昭和4)年の創立時、本学は生徒数合わせて111名の小さな学校であった。そのようなときにデンマーク等へ教員が留学。創立十年を過ぎた頃には、生徒たちがアメリカへ留学。前学長小原哲郎もその1人であった。
創立者小原國芳自身に留学経験はなかったが、欧米教育視察等を通して海外の動静を熟知していた。後年小原は「広く世界を知ったホンモノの日本人を目ざしての全人教育」(『全人教育』191号)でありたいと世界に目を向ける意義を語った。
1963年5月、アメリカ・ボストンのセイヤー学園から教師1名、生徒2名が来園。1カ月後、本学からも同数の教師、生徒をセイヤー学園へ約3カ月派遣した。これが本学での交換留学の始まりであった。このとき、現学長小原芳明もボストンのハイスクールに留学した。
セイヤー学園に派遣されたのは中学部(当時)英語科の井熊孝司教諭、中学3年の相原康夫、高等部(当時)3年の杉本良子の3名。杉本は「日本でする三倍四倍分もの経験をした。……学習のこと、時間のこと、お金のこと何から何まで徹底しています。時間を守らないと生活のテンポについていけない」(『全人教育』170号)と、異文化に触れた経験を語っている。
小原國芳が提唱した国際教育の種は玉川教育12信条のひとつであった。近年、国際バカロレアクラス開講等、国際教育は本学の教育を特色づける大きな幹になっている。
(文=白柳弘幸 教育博物館)
『全人』2017年7/8月号(No.818)より