故きを温ねて 52
ホンモノと出会う
スキーの王者と言われたオーストリアのハンネス・シュナイダーが成城・玉川両学園の招きで1930(昭和5)年に来日した。さらに1963年、シュナイダーの弟子でオーストリア・スキー教師養成の指導者であるシュテファン・クルッケンハウザー教授を両学園が招聘。教授は『スキー教程』を著し、今日のオーストリア・スキーを築き上げた方である。
この招聘に小原哲郎教養学部長(当時)が関わり、スキー関係団体と連絡を取り合い成功へと導いた。教授来日前に、教授の愛弟子バッヘルらが一足先に来日し成城・玉川の生徒たちを指導した。そして、教授来日後は一般向けに各地で講演会や講習会を催した。講習会で助手を努めた若い人たちが、その後、わが国のスキー界で活躍した(黒川秋三『雪艇』)。
スキー学校に参加した高等部生(当時)は「バッヘル先生に教われるということに喜び」(『全人教育』162号)などと感想を残した。小原國芳は一流の人と出会わせ「子供らに喜んでもらえるということが、万事、私の教育推進力なのです。これがなくなったら、教育者としての生命は無くなったようなものです」(『シー・ハイル』)と述べる。
小原國芳は世界一、日本一、ホンモノという言葉が好きだった。子供たちが一流の人と接し、ホンモノと出会うことは大きな喜びとなり、それが子供たちへの教育になると信念を持っていたからである。この考えは現在の玉川でも受け継がれている。
(文=白柳弘幸 教育博物館)
『全人』2018年1月号(No.823)より