故きを温ねて 54
ランシングと小原 信
玉川学園の宗教教育の根源を遡ると、小原國芳の信仰にたどり着く。電信技手として勤務した大浜電信局に月に1度牧師が訪問。牧師から聖書の話を聞いたことがキリスト教との出会いであった。
電信技手を辞し鹿児島県師範学校に進学し、鹿児島市内のキリスト教会を訪問。女性宣教師ハリエット・M・ランシングから熱心に聖書を学び洗礼の恵みに与(あずか)る。鹿児島県師範学校、広島高等師範学校、京都帝国大学にて多くのクリスチャンの友人や恩師と出会う。類は友と恩師を呼ぶかのようで、生涯の宝となった。
そして、高井信(のぶ) と結婚したことにより小原の信仰がさらに深められたのではないかと思う。信の父は長崎東山学院神学部に学んだ牧師であり、信は牧師の家庭に育った生粋のクリスチャンであった。夫婦で同じ信仰を持つことで精神的な絆で結ばれ、互いの気持ちを分かち合える。信と共通の信仰があったからこそ、玉川学園の宗教教育の根底にキリスト教を置くことができたのではないかと推測する。
1974年の同窓会総会で小原に代わって信が講話をした時「聖書のない学校になってしまったら、つぶれてしまってよい」という強いメッセージを残した。信仰の強さや、玉川学園の宗教教育への思いは小原以上であったかもしれない。
創立期、全校生徒は百人足らずであったが、今は1万人を超えた。生徒数の増加によって礼拝実施の方法は変えざるをえないが、各部担当者の熱意で宗教教育は玉川の丘で守り続けられている。
(文=白柳弘幸 教育博物館)
『全人』2018年3月号(No.825)より