故きを温ねて 59
無理にも、美しい心を發心(ほっしん)して下さい
1949(昭和24)年10月、小原國芳は鹿児島県へ教育行脚中、鹿屋市の国立療養所星塚敬愛園を訪問。この頃、ハンセン病は癩(らい)病と呼ばれプロミンという特効薬が効果をあげていた。しかし、国の予算が足りないため、患者らに薬が不足していることを知る。小原は「私の胸は先ずつまる。何を話してよいか、見當がつかぬ」(『全人』同年11月号)と苦しい胸中を吐露している。
帰園後の礼拝で同園の気の毒な状況を話し、献金から薬を送ることを提案した。さらに『全人』誌に「『全人』の同志の方々! 働いて、節約して、いや、無理にも、美しい心を發心して下さい」と献金を訴えた。結果、国内はもとよりアメリカの『全人』誌読者からも海外為替での献金が届くなど反響を呼んだ。
その後、国からの予算で薬が行き渡ることになり、献金で重症患者用宿舎を建設することになった。完成した宿舎は玉川寮と名づけられた。以後、礼拝献金を全国の施設に送り届けることになった。
アフリカのシエラレオネは世界で最も平均寿命が短く、世界の最貧国の1つと言われている。同国で教育活動を続けているカトリック女子修道院・御聖体の宣教クララ修道会への献金送付などは全学園で30年以上続けられている。
「受けるよりは与える方が幸(さいわ)いである」(使徒行伝20章35節)という聖書の言葉がある。献金のみではなく、自分に何ができるのかを考え、実行できれば素晴らしいことだろう。
(文=白柳弘幸 教育博物館)
『全人』2018年9月号(No.830)より