故きを温ねて 61
少年國芳の読書体験
小原國芳は1887(明治20)年、鹿児島県薩摩半島南西端の久志に生まれた。少年國芳は学校を終えると、当地の青少年の集まりであった健児の社と言われる、親燈学舎に出入りした。そこでは学科の予習復習、浜辺での角力(すもう)などが行われていた(『少年の頃』)。文武両道をめざしていたと言って良い。
先輩たちが『義臣傳(ぎしんでん)』などを読み上げるのを「一同姿勢を正して謹聽」したと述べている。それは耳を通しての読書体験と言えるだろう。読書後には、出席者で問答などして本物の学問をめざした(磯田道史『歴史の読み解き方』)。こうした薩摩の教育を「郷中(ごじゆう)教育」と言う。
両親が早く亡くなり7人兄弟の生活は苦しく、教科書が買えなかった。そのため、学年末には新年度の教科書を借りて写本した。写しながら算数では答えを出し、国語では知らない漢字も読めるようになった。高等科1年(小学校5年相当)の時は『日本外史』『論語』も写本した。教科書外の『秀才文壇』『小國民』という文芸投稿雑誌の文章も友だちと競って写したとのこと(『少年の頃』)。
文章修業として作家の文章を写本する話を聞いたことがある。文章を正確に写す時は、普通以上に注意をはらい、集中して丁寧に読まなくてはならない。小原の数多ある著作の基礎になったのが、この時期の文章修業であったのかもしれない。経済的に恵まれなくても卑屈にならず、前向きで豊かな読書体験を重ねていたのではないかと想像している。
(文=白柳弘幸 教育博物館)
『全人』2018年11月号(No.832)より