故きを温ねて 64
スキーを通して友好親善
オーストリアのハンネス・シュナイダー(以下シュ氏)が世界一のスキーヤーと中学生に教えられ、小原國芳はシュ氏に来日を要請。シュ氏は1930(昭和5)年2月24日に母国を出発しシベリア横断鉄道等にて3月14日に下関到着。講演や講習の日程を終え4月20日帰国。
日本滞在中通訳等の世話をしたのはオーストリア領事館職員の坂部護郎。坂部はオーストリアのレルヒ少佐が伝えたスキーを軍隊に導入したことで知られる長岡外史陸軍中将の次男だ。
シュ氏は世界初の体系的なスキー指導法と言われるアールベルク・スキーを日本に広めた。シュ氏招聘について、小原は「世界的偉人に接するだけでも、それが如何に意義深い敎育」(『學園日記』第九號)と述べている。シュ氏を出迎えた横浜駅にて、小学生の子息哲郎に「今度はお前がシュ氏の息子さんをお呼びするよう」話した。その言葉を坂部がシュ氏に伝えると大変喜んだという。
後年、小原哲郎はシュ氏の後継者クルッケンハウザー教授招聘に、大きな役割を果たした。この時の会話を胸に留めていたのだろうか。父國芳はシュ氏来日にあたり『シュナイダーとアールベルク・スキー術』(玉川學園出版部)、息子哲郎が『シー・ハイル』(玉川大学出版部)を出版し好評を得た。
長岡と坂部、小原國芳と哲郎の2組の親子は、スキーを通してオーストリアと日本の友好親善に尽くしたと言ってよいだろう。
(文=白柳弘幸 教育博物館)
『全人』2019年2月号(No.835)より