故きを温ねて 68
ガンバリの魂を与えて頂いた
1887(明治20)年生まれの小原國芳の学齢期、小学校は四年制であった。在籍していた久志小学校では小学校の卒業証書は出すことができたが、高等科二年課程(現小学六年)の証書は出せなかった。諸般の事情が重なり、少年國芳は高等科を卒業するため枕崎の桜山小学校に通うことになった。
「一番鶏で目が醒めて……ニギリメシをフロシキに巻いて、肩からかついで。片手には提灯、片手には勉強道具。二月、サツマでも寒い頂上です……山は石ころ道、かなりきつい」(『創立100周年記念誌さくらやま』)と往時を回想。海抜0メートルの海辺の自宅から標高300メートル近い峠を越え、ケモノ道のような山道を3カ月間無遅刻で通学した。
「有りがたかったことは、間庭峠の往復六里、二十四キロを毎日、往復したそのガンバリの魂を与えて頂いた」と、通学を成し遂げた感想を述べている。学びたいという強い気持ちがガンバリの元になったのだろう。高等科卒業資格を得たので電信学校の受験ができ、さらに師範学校など上級学校への進学につながった。全ての始まりがここからだった。
現在、少年國芳が通った道は「小原國芳 勉学の道」として地元の方々が道標を建てるなど整備し、当時の山道の様子も一部残した。桜山小学校校庭に「小原國芳先生 顕彰の碑」が建てられ、枕崎市教育委員会が久志から桜山までの「勉学の道歩こう会」を行い、少年國芳の志を後輩たちに伝え継いでいる。
(文=白柳弘幸 教育博物館)
『全人』2019年6月号(No.839)より