故きを温ねて 92
眞の人間をつくる爲に、藝術敎育を高調する
「眞の人間をつくる爲に、藝術敎育を高調する」と、小原國芳は1923(大正12)年に著した『学校劇論』でいち早く論じた。1947(昭和22)年、大学令により玉川大学(文農学部文学科、農政学科)が設置認可され、2年後に新制度による玉川大学(文学部教育学科・英米文学科、農学部農学科)が設置認可を受けた。文学部芸術学科が開設されたのは1964年4月、東京でオリンピックが開催された年であった。音楽、美術、舞踊、演劇、体育の各専攻を置いた。
初期の農政学科では美学や音楽が選択科目に置かれるなど、芸術系教科を重視していた。文系学科ではいうまでもなく、それらの科目は増している。そうした理由として「従来余リニモ準備教育ト出世主義トニ毒セラレタ日本ノ教育ハ宗教ヤ藝術ヤ道義・教養ヲ忘却」(「(旧制)玉川大學設立申請書」)したからと述べている。
戦前から本学の学生たちは第九や荘厳ミサ曲を歌い、戦後も各種催し物、教育研究会などで学校劇公演を重ねてきた。大学1年生全員による第九公演は1960年から毎年行われるようになり、小中高の各部でも学校劇、舞踊などが盛んになった。
小原はこうした芸術活動への高まりから、全学園の芸術教育の体系化をはかるために、大学に芸術学科を設置した。設置年の『学生要覧』で「芸術の根底に宗教の絶対性と敬虔性を擁し、宗教的信念に燃え、有能なる人材を育成する」と設置目的を明らかにしている。これはすなわち「眞の人間をつくる爲」であった。
(文=白柳弘幸 教育博物館)
『全人』2021年9月号(No.863)より