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ミツバチ研究

2018.06.26

ミツバチは巣に帰ると8の字型にダンスを踊り、巣にいる仲間たちに蜜や花粉などがある場所を知らせる。また、仲間との分業で協力し合う習性を持っている。これは高度なコミュニケーション能力を有していることを意味する。そのミツバチの花粉媒介を利用した果樹類の増産に挑戦すべく、1950(昭和25)年、玉川のミツバチ研究が本格的に始まった。そして今日、本学のミツバチ研究は国際的にも高く評価されている。

1.玉川のミツバチ研究のスタート

ミツバチは、仲間たちに蜜のある場所を知らせたり、複雑な構造をした六角形の巣を作ったり、蜜を加工して巣に蓄えて蜂蜜にしたりすることでよく知られている。ミツバチは95万個(ヒトは140億個)の脳細胞しか持たないが、高等なサルにも匹敵する記憶力と学習能力がある。そのミツバチの研究が玉川学園で始まったのは1930(昭和5)年に遡る。『學園日記』No.13(昭和5年8月号)に掲載されている渡辺素峰著『生物学的労作問題について』の中に次のような記述がある。

開始の準備として筆者は先ず四月二十日に岐阜八剣に出張して実地に某養蜂場を見学した。適当と認めたので帰京後直ちに種蜂二群と其の他に必要なる品々を注文した。
 (略)
五月一日、種蜂岐阜より無事到着。五月中の生徒の熱心なる労作により小さいながらも養蜂場の形式備わり、蜂勢も盛んとなり、六月には早くも巣箱中に貯蜜充満して、七月上旬までに約八十ポンドの採蜜をすることが出来た。
 (略)
創立者小原國芳先生の頭の中には、玉川学園創立の頭初から労作並びに研究の重要な素材としてミツバチがあったことは、この事実によっても明らかであろう。

その後戦前・戦中にかけて玉川学園におけるミツバチの研究は途絶えていたが、ミツバチの花粉媒介を利用した果樹類の増産に挑戦すべく、1950(昭和25)年に玉川大学農学部ミツバチ研究室の岡田一次によってミツバチの研究が再開された。戦後間もない食料不足に悩む時代、昆虫学研究は害虫防除の研究が主であったが、玉川大学は益虫に注目し、ミツバチ研究に着手。それから約30年後の1979(昭和54)年に、玉川大学農学部でのミツバチ研究の成果を受け継ぎ、国内外の諸研究機関との交流と国際的な貢献を目的に、日本で唯一のミツバチに関する総合研究機関として、ミツバチ科学研究所が設立された。初代主任は岡田一次であった。

ミツバチの観察
養蜂場の見学

『玉川学園学術教育研究所所報』第5号で岡田一次は次のように述べている。

戦後の異常な食糧不足時代の中で、甘味食品への関心は特に高かった。日本各地でミツバチの飼育熱が急に起きた。ミカン、リンゴを始めとする果樹類の栽培も復興した。農業昆虫学を担当していた私は、農薬防除が嫌いで、少しでもミツバチの花粉媒介による増産はできないものかと日頃から単純に考えていた。

『全人教育』No.782の「故きを温ねて⑪」に次のような記述がある。

1949年、新制大学発足と同時に玉川に着任した岡田一次教授は農業昆虫学を担当。ミツバチによる花粉媒介による食料増産について思案していた。翌年春、小原國芳学長(当時)に面会し、農学部でミツバチ研究を始めたいと申し出た。「「大賛成」俺も応援するから大いに研究をやれ」(『所報』第5号)と、大学発足時であったにもかかわらずアメリカ製の高額な人工授精器の購入を認められるなど、物心両面の支援を受けてミツバチ研究が始まった。

1964(昭和39)年当時の農学部養蜂場(右側が岡田一次)

ミツバチ科学研究所が設立された翌年の1980(昭和55)年に機関誌「ミツバチ科学」(季刊)を創刊。最新の学術情報のほか、ミツバチに関わる理系・文系のあらゆる分野を網羅して掲載する学際的な学術誌として、国内の研究者や養蜂家、官公省関係者、生産物加工に携わる製薬・食品関連企業のみならず、海外の多くの研究機関や企業も読者となっている。

1982(昭和57)年にミツバチ科学研究所は、国際ミツバチ研究協会東アジア図書分室に指定される。1992(平成4)年には、アジア養蜂研究協会事務局を設置。2012(平成24)年まで事務局を担当し、タイやベトナムなどアジア各地でミツバチの国際会議を開催した。1994(平成6)年にミツバチ科学研究所は、玉川大学学術研究所に統合され「ミツバチ科学研究施設」と改称。1999(平成11)年、部門制の導入により3研究部門(ミツバチ生物学研究部門、ミツバチ生産物研究部門、花粉媒介機能研究部門)を設立。翌2000(平成12)年には、玉川大学でのミツバチ研究50周年,「ミツバチ科学」刊行20周年を迎えた。2008(平成20)年、組織改編に伴い「ミツバチ科学研究センター」と改称。

ミツバチの分蜂

2.ミツバチ科学研究センター

センターの主な研究内容は以下の通りである。

  • ミツバチの学習能力に関する分子生物学的研究
  • カースト分化におけるDNAメチル化の役割
  • ミツバチ採餌システムにおける経験と学習の役割
  • ミツバチコロニーのエネルギー経済学
  • 在来種、導入種ミツバチの比較生物学
  • スズメバチ類の情報化学物質に関する総合的研究
  • マルハナバチの概日リズムと光受容系の解析
  • ハウス用ポリネーターの有効活用と新技術の開発
  • ハチミツの熟成過程や純度・産地評価に関わる研究
  • ミツバチを利用した資源評価法の開発
  • ミツバチを活かした環境教育の試み

ミツバチ科学研究センターでは、下記の3研究部門が研究活動を展開している。

<ミツバチ生物学研究部門>

ミツバチの基礎理学的研究はもとより、家畜としてのセイヨウミツバチを中心とした養蜂学、カリバチ類を含めた社会性昆虫の生理・生態学的な研究、遺伝子解析室の最新の機器を駆使した分子生物学的手法によるその社会構造の研究も行っている。

<ミツバチ生産物研究部門>

人類の健康に役立つハチミツ、ローヤルゼリー、プロポリス、蜂ろうなどのミツバチ生産物の生物化学的研究を行っている。

<花粉媒介機能研究部門>

農産物のポリネーターとしてのミツバチおよびマルハナバチの利用に関する、基礎と応用両面の研究を行っている。そのほか、ミツバチを教材化しての環境教育にも力を入れ始めている。

採餌蜂

毎年1月に開催し、全国から約300名の参加がある「ミツバチ科学研究会」は、研究成果の公表の場として、また参加者間の交流の場としても提供されている。第1回目の開催は1980(昭和55)年1月で、玉川大学農学部において開催された。2018(平成30)年は1月7日の日曜日に開催。第40回目の開催となった。国際的な交流も盛んで、多方面にわたる国際的な研究交流と養蜂の普及、振興の両面の活動を行っている。

2008年第31回ミツバチ科学研究会
2012年第35回ミツバチ科学研究会

3.本学での発見が『ネイチャー』誌に掲載

1985(昭和60)年、農学研究科修士課程に所属していた小野正人(現在玉川大学農学部教授)がニホンミツバチの「布団蒸し殺法」(熱い蜂球でスズメバチを蒸し殺す)を発見。玉川発の世界的発見となった。そして、1987(昭和62)年にスイスの国際誌に発表され、フェロモンなどが関与するメカニズムの解明とともに、1995(平成7)年イギリスの科学誌『ネイチャー』に掲載。その後、大きな反響を呼び、世界各国のメディアで紹介された。

布団蒸し殺法

さらに2003(平成15)年、同氏らはオオスズメバチの複数成分系警報フェロモンを解明し、イギリスの『ネイチャー』誌に掲載され、国際的な注目を集めた。

合成した警報フェロモンに反応するオオスズメバチ

4.JAXA(宇宙航空研究開発機構)との共同研究

将来、人間が火星で暮らすには、現地で野菜を生産することが必要で、そのためのハチの火星での授粉の可能性を調べることを目的として玉川大学とJAXAの共同研究がスタート。2010(平成22)年から2011(平成23)年にかけて、クロマルハナバチを使って共同実験が行われた。その結果、重力が地球の約3分の1しかない火星でも、ハチが飛べることを確認した。

5.授業でのミツバチ研究

大学の農学部や農学研究科の授業や研究はもちろんのこと、幼稚部や低学年(小学1年生~4年生)対象のサマースクールでのミツバチ観察やハチミツ採取、高学年(中学3年生~高校3年生)のSSH(スーパーサイエンスハイスクール)の授業でのハチミツ採取など、さまざまな機会にミツバチ研究が活用されている。

農学部
高学年
幼稚部

6.常に愛するミツバチのために

『全人教育』No.782の「故きを温ねて⑪」に次のような記述がある。

1990年のミツバチ研究開始40周年の際に、岡田の弟子であった酒井哲夫教授は「われわれのミツバチ研究は「常に愛するミツバチのために」がモットー」(『ミツバチ科学』11巻)と記した。数年前、ミツバチ科学研究センターの中村純教授から「ミツバチ研究の第一歩は観察から」「観察と記録を繰り返す」という、岡田イズムが継承されている言葉を聞いた。

8の字ダンス(中央のミツバチが翅の上下動と同時にお尻を振る)

【参考1】ニホンミツバチとセイヨウミツバチ

ミツバチはハチ目ミツバチ属の総称。日本にはニホンミツバチとセイヨウミツバチの2種類が生息。ニホンミツバチは、女王バチで体長13~17mm、働きバチで10~13mm。北海道をのぞく日本各地に分布。性質が穏やかで趣味養蜂のハチとして人気がある。元来ヨーロッパやアフリカに分布のセイヨウミツバチは集蜜力に優れ、全世界で養蜂に用いられる。日本の法律上ミツバチは「家畜」に分類。家族で生活し、巣から半径約2km以内にある花蜜や花粉を集め帰巣する習性を持つ。産卵は女王バチに、育児や採餌、防衛などは働きバチに分業され、秩序ある社会が築かれている。

-『全人』第782号(玉川大学出版部/2014年)より引用-

【参考2】ミツバチ科学研究所(現ミツバチ科学研究センター)主任一覧

主 任就任年氏 名
初代 1979(昭和54)年 岡田 一次
第2代 1985(昭和60)年 酒井 哲夫
第3代 1993(平成5)年 松香 光夫
第4代 1997(平成9)年 吉田 忠晴
第5代 2004(平成16)年 佐々木 正己
(翌年、農学部長、農学研究科長に就任)
第6代 2005(平成17)年 中村 純
第7代 2010(平成22)年 佐々木 正己
(学術研究所長兼任)
第8代 2013(平成25)年 中村 純
第9代 2017(平成29)年 佐々木 哲彦

関連サイト

参考文献

  • 小原國芳監修『玉川こども百科 61巻 みつばち』 玉川大学出版部 1956年
  • 小原芳明監修『玉川百科こども博物誌』小野正人・井上大成 編/見山博 絵『昆虫ワールド』 玉川大学出版部 2017年
  • 小原芳明監修『全人』 玉川大学出版部
       第647号(2002年)、第659号(2003年)、第670号(2004年)、
       第707号(2007年)、第782号(2014年)
  • 岡田一次著『ミツバチの科学』 玉川大学出版部 1975年
  • 岡田一次著『丘のミツバチ研究室』(『全人』第25号 玉川大学出版部 1952年 に所収)
  • 岡田一次著『丘のミツバチ雑話』(『全人』第86号 玉川大学出版部 1956年 に所収)
  • 岡田一次著『ミツバチと蜜源植物-植樹期によせて-』(『全人』第103号 玉川大学出版部 1958年 に所収)
  • 岡田一次著『テントウムシと雄ミツバチ』(『全人教育』第260号 玉川大学出版部 1971年 に所収)
  • 岡田一次著『ミツバチ秘話(1)』(『全人教育』第284号 玉川大学出版部 1973年 に所収)
  • 岡田一次著『ミツバチ秘話(2)』(『全人教育』第285号 玉川大学出版部 1973年 に所収)
  • 岡田一次著『ミツバチ秘話(3)』(『全人教育』第286号 玉川大学出版部 1973年 に所収)
  • 酒井哲夫著『玉川大学のミツバチ研究と国際交流』(『全人教育』第440号 玉川大学出版部 1985年 に所収)
  • 酒井哲夫著『アジアで初めてのミツバチ会議―第三十回国際養蜂会議を終えて―』(『全人教育』第450号 玉川大学出版部 1985年 に所収)
  • 酒井哲夫著『ミツバチから学んだ教訓』(『全人教育』第497号 玉川大学出版部 1989年 に所収)
  • 吉田忠晴著『養蜂の科学的技術的進歩―第二十九回国際養蜂学会議ハンガリー大会に出席して―』(『全人教育』第429号 玉川大学出版部 1984年 に所収)
  • 吉田忠晴著『ミツバチの国際会議』(『全人』第651号 玉川大学出版部 2002年 に所収)
  • 佐々木正己著『ニホンミツバチ』 海游舎 1999年
  • 佐々木正己著『ミツバチのコミュニケーション―比較言語学実験記―』(『全人教育』第542号 玉川大学出版部 1993年 に所収)
  • 佐々木正己著『ミツバチの記憶・学習のメカニズムを解明!』(『全人』第659号 玉川大学出版部 2003年 に所収)
  • 佐々木正己著『国内唯一のミツバチ総合研究機関』(『全人』第748号 玉川大学出版部 2011年 に所収)
  • 中村純著『玉川大学でのミツバチ研究のこれから-第30回ミツバチ科学研究会』(『全人』第716号 玉川大学出版部 2008年 に所収)
  • 中村純著『第33回ミツバチ科学研究会開催』(『全人』第748号 玉川大学出版部 2011年 に所収)
  • 小野正人著『オオスズメバチとニホンミツバチの共進化』(『全人教育』第573号 玉川大学出版部 1996年 に所収)
  • 小野正人著『社会性ハチ類の情報発信基地-ミツバチ科学研究施設の試み』(『ZENJIN』第639号 玉川大学出版部 2001年 に所収)
  • 小野正人著『机の上のスズメバチ』(『全人』第651号 玉川大学出版部 2002年 に所収)
  • 小野正人著『社会性ハチ類の化学物質を媒介とした情報伝達システムを解明!』(『全人』第670号 玉川大学出版部 2004年 に所収)
  • 小野正人著『ニホンミツバチの防衛行動の謎』(『全人』第763号 玉川大学出版部 2012年 に所収)
  • 白柳弘幸著『故きを温ねて』 (『全人』No.647 玉川大学出版部 2002年 に所収)
  • 白柳弘幸著『故きを温ねて』 (『全人』No.782 玉川大学出版部 2014年 に所収)
  • 玉川学園キャンパスインフォションセンター編『玉川学園の教育活動2008⇒2009』(玉川学園) 2008年
  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年
  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史(写真編)』 玉川学園 1980年
  • 玉川学園編『玉川学園創立80周年記念誌』 学校法人玉川学園 2010年
  • 日経BPムック『「変革する大学」シリーズ 玉川大学』 日経BP企画 2005年
  • 石田修大著『玉川学園 全人教育 夢への挑戦』 日経事業出版センター 2002年

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