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中学部の青雲塾

2019.05.14

1966(昭和41)年1月30日、男子中学部生のための塾舎として「青雲塾」が完成した。1979(昭和54)年には短期塾教育がスタートし、すべての男子中学部生が3週間、青雲塾での集団生活を体験するようになった。

1.玉川塾

「塾は玉川の目玉だ」とよく言っておられた創立者小原國芳は、1948(昭和23)年発行の『玉川塾の教育』(昭和5年初版)で、次のように述べている。

私は、何だか、教育というものは八時以前と三時以後にホンモノがあるような気がします。
(略)
塾教育は実に、心から心への教育即ち人格から人格への教育です。言い換ると、之は内面からの教育です。かかる教育を受けたものの社会は互に理解を深くし、同情を厚くすることが容易だと思います。故に塾教育こそホントの社会改造の道だとも首肯されます。

創立者小原國芳を囲んで

1929(昭和4)年4月8日の玉川学園開校式の翌日から塾生活が開始された。先生方と塾生は、日の出とともに起床し、聖山に集まって、祈り、体操し、讃美歌を歌った。1948(昭和23)年発行の小原國芳著『玉川塾の教育』によれば、家元を離れて学内の宿泊施設で生活する生徒や児童を塾生と呼んでいたが、その塾生には3種類の形態があった。先生方の家に2、3名ずつ分宿し、家族として掃除、風呂焚き、買い物、子守りなどをする「学僕」、先生の家に7、8名が一緒に生活する「塾生」、一人で独立して生活する「寮生」で、その3種類を総称して「塾生」としていた。1932(昭和7)年頃になると、教員宅にそれぞれ分かれて生活していた塾生は、全員が男子塾、女子塾というように一つの建物に集まり生活を共にするようになった。

青野塾

大学が設置認可された後、玉川塾は大学生を中心に、さまざまな活動を行った。生活のための薪作りや野菜作りをはじめ、印刷や事務の手伝い、運動会の会場作りなど。中学部塾生も大学生や高等部生に混じって労作に取り組んだ。

塾生たちの薪割り労作
塾生たちの印刷部での労作

このように玉川学園創立以来、小学生から大学生までが一緒に塾生活を送っていたが、1955(昭和30)年代に入ると、男子中学部塾生を高等部生や大学生と分離することとなった。大学の拡充により大学生の入塾者が増加したことと、生活や行事に大きなズレが生じるようになったことが理由である。1960(昭和35)年、中学部生は独立した塾舎で生活をするようになる。独身の中学部教師を舎監にし、文学部教育学科の学生を部屋長とした。その後、新塾舎が完成するまで、中学部の塾は居所を転々とすることとなる。やがて、中学部生と高等部生専用の塾舎が建てられ、大学も暁峰塾・梁山塾といった男子塾、龍胆塾・海棠塾・桔梗塾といった女子塾に分かれ、それぞれが独立することとなった。

2.青雲塾の誕生

大学の塾舎が完成した後、男子中学部生のための塾舎として「青雲塾」が建設され、1966(昭和41)年1月30日に引っ越し。2月1日、開塾となった。木造平屋建て2棟の青雲塾は、中学部につづく標高80メートルの台地上に位置する。現在の大学6号館(SCIENCE HALL)が建っているところにあった中学部校舎に近いため、グラウンドや校舎内施設の利用もしやすい。先生方も頻繁に行くことができる。さらに当時の中学部長宅や職員住宅に囲まれていたため、監督の目が届きやすかった。なお、中学部女子塾生についてはこれまで通り、大学生の指導のもと大学塾の中で塾生活を送ることとなった。

食堂での朝の礼拝。讃美歌を合唱

『全人教育』第200号(玉川大学出版部発行)の「玉川学園中学部 男子塾誕生 ――二十四時間の教育」に次のような記述がある。

玉川塾のより本質的な精神を中学生という限られた年齢にあてはめ、生かすべく、新塾舎設計の段階から少年たちの意見をとりいれ、「ぼくたちの塾」としての意識を築くことにつとめた。
新しい塾の中に娯楽室を作ることに、こども達は一番熱意を示した。
(略)
外国の中学レベルのボーディングスクール(塾学校)によくある例だが、生徒の生活の場を大きく三つにわけてある。
 睡眠をとり、衣服をおく寝室が四五坪
 学習のための部屋が二五坪
 憩いの場所、娯楽室が二四坪
それに玄関ホール、洗面所、洗濯場、シャワー室、炊事場、便所、塾主任室、部屋長室(大学生)、病人のための休養室、物置などいれて一七八坪。これを四十数名の中学生が使うのだから充分なスペースといえる。
四五坪の大寝室には、仕切りはひとつもない。四十数人がベッドをずらりとならべて寝ている姿が一目で見わたせる壮観は如何にも健康的で楽しい。

就寝前には部屋長の本の朗読

洗濯場は地下室にあり、電気洗濯機が2台置かれていた。娯楽室には、ステレオ、テレビのほかガスコンロも設置。娯楽室では、卓球をすることも、エレキギダーを弾くことも可能。
なお、毎晩夕食後の学習室での学習時間は、19時より2時間であった。

学習室にて夜の学習

生徒たちは1か月の歳月をかけて、道作りから始まり、植樹、地下室のぺんきぬりや、シャワー室の衝立作り、洗濯物を干すための物干し場づくり、そして畑づくりや花壇づくりを、習いたての技術を駆使して行った。このように生徒たちはさまざまな体験をし、自分自身を磨いていった。そして教師たちは生徒たちの主体性を重んじ、その成長に手を差し伸べた。
『全人教育』第200号(玉川大学出版部)には次のような記述がある。

四月から毎週「塾生会議」を開いて、合議制で意識をたかめ、積極的に参加する習慣をつけていこう。オヤツのこと、設備のこと、行事のこと、何でもこども達と相談してやっていこう。里親制度をつくり、月に一度はよその家風にふれさせよう。塾生の誕生日はみんなで祝い、その日のオヤツは特別製にしよう。労作を盛んにやり、何か生産してお金ももうけよう。スポーツをさかんにし、男らしい敢闘精神を養おう。時には一流レストランヘ食事に行ったり、塾へ女子塾のヤングレディスを正式招待して紳士教育もしよう。
まだまだ緒についたばかりだが、小原先生のいわれる「マコトの教育」の場として、やらなければならぬこと、やりたいことは山ほどある。教育はやっぱり二十四時間のスケールで考えてみると、いろいろ可能性もあるし、したがって面白味もあるというものだ。

3.塾舎の増改築

入塾希望者の増加にともない、青雲塾の塾舎の改築が行われ、1973(昭和48)年3月に工事は完了した。これにより、塾生の最大収容可能数は70名となった。1979(昭和54)年6月には、物干し場に2台の乾燥機を設置。同年10月には、大きな風呂が完成した。冬季の暖房は灯油による温風暖房機であったが、1967(昭和42)年12月にはスチーム暖房となり、1980(昭和55)年12月には寝室に加湿付きの暖房装置が設置された。

4.塾生活と行事

開塾以来、班編成で塾生活の運営を行ってきた。各般の班長は、3年生全員が経験できるよう任期は学期ごととし、舎監によって任命された。また、塾生は週番、食事当番、電話当番、鳥小屋当番などの当番を分担して行った。

新しい塾の前で労作

1979(昭和54)年頃の塾生活の一日は次のとおりである。

  •   6時15分
     起床
  •   6時20分
     <月・水・金>経塚山(三角点)にて礼拝(祈り、讃美歌を歌う)・点呼
     <火・木・土>地下ホールにて冷水浴(冬季も冷水を3杯浴びる)・点呼
  •   6時40分
     塾舎内外の美化労作と朝の会食の配膳
  •   7時  
      朝の会食
  •   7時25分
     食後のかたづけ
     自由時間(授業の準備、早朝練習参加、洗濯等)
  •   8時   
     登校
  •   8時20分~17時
      学校での生活
  • 17時  
     <火・木>3kmのマラソン
  • 18時  
      夜の会食
  • 19時~21時10分
      学習時間(2時間、途中10分休憩をはさむ)
  • 21時10分
     おやつ
  • 21時55分
     就寝(点呼、連絡)
  • 22時  
      消燈(部屋長による小説や物語の朗読を聞きながら眠りにつく)
楽しいおやつの時間

塾での年中行事は、次のとおりである。

  • 4月入塾式、新入塾生歓迎会、誕生会(毎月月末に実施)、映画会、レコードコンサート(毎月)
  • 5月遠足、端午の節句
  • 6月大掃除、運動会
  • 7月七夕、夏季休暇帰省
  • 9月2学期帰塾
  • 10月民謡大会、塾親子会
  • 11月ソフトボール大会、サッカー大会、笹刈り労作
  • 12月クリスマス・キャロル、冬季休暇帰省、餅つき、大晦日大焚火
  • 1月元旦年賀、3学期帰塾
  • 2月記念労作、豆まき
  • 3月ひなまつり、送別会(卒業祝賀会)

5.短期塾教育の導入

中学部のすべての男子生徒に塾生活を体験させ、基本的な生活習慣を身につけさせるとともに、精神的にも身体的にもたくましい人間になってほしいという願いから、1979(昭和54)年より、短期塾教育がスタートした。短期塾教育の対象は1年生と2年生。『全人教育』第448号の「三週間の集団生活 ―中学部青雲塾の生活-」に次のような記述がある。

現在、青雲塾では年間七回の短期塾生を迎えている。それぞれの回には一・二年生各一クラスずつの男子(計約四〇名)が、学級担任と共に入塾してくる。毎回の短期塾生達を迎え入れていく青雲塾の基本構成メンバーは、下表に示す通りである。ここで主任舎監・舎監は中学部の教師が、また、塾母(おばちゃん)は主任舎監夫人が担当している。そして、部屋長は塾生OB(限定はされないが)の中から将来教職を希望する優秀な玉川大学生が選ばれている。また、長期塾生とは年間を通して塾生活を送る生徒のことであるが、毎年、短期塾を体験した一年生の中から、長期塾生を募り、短期生のリードができる資質を持った生徒約十名を、長期塾に入塾させている。

主任舎監(中学部教師) 1名
舎監(中学部教師) 2名
短期舎監(担任) 2名
塾母(おばちゃん) 1名
部屋長(大学生) 1~2名
長期塾生(中学部生) 20~30名

1985(昭和60)年頃の短期塾の塾生活の一日は次のとおりである。

  •   6時
        起床
  •   6時15分
      地下ホールにて点呼、冷水浴
  •   6時25分
      経塚山(三角点)にて礼拝(祈り、讃美歌を歌う)
  •   6時40分
      塾舎内外の美化労作と朝の会食の配膳
  •   7時
        朝の会食
  •   7時25分
      食後のかたづけ
      自由時間(授業の準備、早朝練習参加、洗濯等)
  •   8時
        登校
  •   8時20分~16時30分
       学校での生活
  • 16時30分
      自由時間(遊び、スポーツ、入浴、洗濯、読書、テレビ等)
  • 17時40分
      食事当番は夜の会食の配膳
  • 18時
        夜の会食、会食後は自由時間
  • 19時~21時10分
       学習時間(2時間、途中10分休憩をはさむ)
  • 21時10分
      おやつ、自由時間
  • 22時
        就寝(点呼、連絡の後、消燈。部屋長の本の朗読を聞きながら眠りにつく)
経塚山にて朝の礼拝、讃美歌を合唱
洗濯

短期塾の行事としては、入塾歓迎会、スポーツ大会、誕生会、映画会、労作、野外バーベキュー、歓送会などがある。塾の一日は、午前6時の起床から始まる。そして、冷水浴、経塚山(三角点)での礼拝と続く。集団生活では、一人ではなかなかできないことも、仲間と励まし合う中でできてしまうことも多い。短期塾を体験した生徒の「塾の思い出」と題する感想文の一部が『全人教育』第448号において次のように紹介されている。

この三週間、一番楽しかったのは、友達と一緒に入るおふろだ。一日のつかれを洗い流して、時間がたつのも忘れてしまうほど、その日の出来事を話したり、お湯をひっかけたりしていた。おふろに入ると、いつものように頭を洗う。友達も洗う。なんとなく二人で同じことをやっていると鏡にうつっているような気がしておもしろい。頭からシャワーの湯が大雨か滝のように流れている。それがあわで白くなり、お米のとぎ汁のようにも思える。そんなとき急に家の台所を思い出す。母が米をといでいるところをそっくりそのまま思い出す。そうなると、少し悲しくなるため、思いきり頭からシャンプーのあわをおとす。そして、ザブーンとふろの中に飛びこんで頭まで十秒ぐらい沈む。それからゆっくり頭を出して、静かにしている。友達が入ってくれば遊んで出る。一日のつかれが一度に出てきて、ぼうっとしてしまう。でもあとになると、気持ちがさっぱりとして、明日の事を思ったりする。みんなふろに入っている時は良い顔をしている。
(略)
塾で身につけたことは、食事のこと、あいさつや返事のこと、ベッドの作り方などたくさんある。長期生の先輩におこられたり、ほめられたりしながら、自分のものとしてがんばった。つらかったのは、おぼえることが多い最初の一週間だけだった。先輩も先生方も、みんな親切で、よく教えてくれた。何か、塾を出るのがおしいようだ。あと一週間ぐらいいて、もっと、自分に身につけられるものをさがしてみたい気がした。これからの生活を、塾で身につけたやり方でがんばっていこうと思う。

6.青雲塾生心構え

1、塾生は、伝統ある玉川塾の一員たる誇りを持ち、全学園生徒の模範となる。
1、塾生は、自主独立の精神を持って、どんな困難にも負けぬ強い心身を養う。
1、塾生は、第二里行者として進んで善を行なう自由な精神を持つ。
1、塾生は、たがいに親しみ助け合うひとつの家族となる。
1、塾生は、礼儀を重んじ正義を愛する。

7.閉塾

学生や生徒たちを取り巻く社会情勢や彼らの要望の変化などにより、1987(昭和62)年に塾舎での教育を発展的に解消することとなり、大学の塾は2月16日、中学部の青雲塾は3月17日に閉塾となった。

関連サイト

参考文献

  • 小原國芳著『玉川塾の教育』 玉川大学出版部 1948年
  • 小原國芳監修『全人教育』第200号 玉川大学出版部 1966年
  • 小原哲郎監修『全人教育』第444号 玉川大学出版部 1985年
  • 小原哲郎監修『全人教育』第448号 玉川大学出版部 1985年
  • 玉川学園中学部編『中学教育―玉川学園―』 玉川大学出版部 1965年
  • 玉川学園編『玉川学園中学部 全人教育の実践』 玉川大学出版部 1979年
  • 塾編集委員会編『玉川学園 塾の歩み五十五年』 玉川大学・玉川学園女子短期大学塾 1985年
  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年

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